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生身の自分でいられる居場所探しについて

はじめに

「年上だけじゃなくて、自分と歳の近い人と会うようにしたら良いんじゃないかな?」

「そういう相手と話している中で、自分の今の立ち位置がどこにあるのか把握できると思うし。」


2022年9月の事だ。


大日本プロレスの商店街プロレスを観戦した帰りに、会場でお会いしたフォロワー様と食事したり、横浜の街を歩いたりする中で言われた言葉だ。

その時の私は、Twitterアカウントの事で抱く悩みを、フォロワー様に対して吐露していた記憶がある。


「馴染みのバーとかだと年上の人と話す機会が多いし、そこで可愛がられる事も増えるけれど、だからこそ、自分の歳の近い人を友達にする事は大事じゃないかな?」


確か、そんな内容のアドバイスだったと記憶している。


フォロワー様によると、私の知っている別のフォロワー様と2人で私のことについて話した際、そのような共通の意見が出たのだという。


言われてみると、そうかもしれないと私は思った。


現実とネットの乖離

「私のフォロワー数なんて、どんなに多くて500人台が関の山だろう。」


2017年1月にTwitterアカウントを拵えた当時、私が思っていたことである。


あれから5年半以上の月日が流れ、現実は大きく変わった。

気づけばフォロワー数はフォロー数を上回り、Twitterをキッカケにして生まれた御縁も沢山出来た。


(自分で言うのもアレですが)有り難いことに、他の方から「貴方が感想をツイートすると色んな方に広まる」とか、「有名ですよね?」と言っていただける機会も増えた。


ただ、これに関しては、「好きなことについてコツコツ呟いていたら、結果としてそうなった」感覚に近いので、そうした評価に戸惑いを覚えているのも事実だ。


アカウントを嘘や誇張で固めている訳でもないのに、現実の自分と、Twitterアカウントの自分の間に生じた著しい乖離も、私自身感じつつあった。

周りの方からお褒めの言葉をいただく度に、どこか、地に足がついていないような感覚に陥るのだ。
まるで、自分が自分でないみたいな…。
(でも、書いているnoteや撮っている写真に対して、第三者から反応をいただきたいと思う欲はあったり…)


そうした違和感は、私の中で年々高まっていった気がする。

私は、色んな人に言われるような立ち位置なんて、到底得られていない実感がある。
持っていると思われている発信力や拡散力なんて、自分の意見や感想を表明し続けた集積だと感じているから…。


久しぶりの人や新しい場所に飛び込むこと

冒頭のフォロワー様のアドバイスを貰ってから、約2週間後のこと。

【歳の近い人と飲む】チャンスが、私に2度も訪れた。

1度目は、大学時代の同級生だ。

新型コロナウイルスの蔓延以降、久方ぶりに顔を会わせる機会…。

私がTwitterアカウントを拵える以前から知っている面々なので、プロレスアカウントという名刺がなくても問題ない。
何より、各々の近況報告も交わせる。


職場やバーでは中々巡り会えない、同学年の相手とガッツリ話せた事で、感じ入る部分も多々あった。
(仕事とか、プライベートとか)


中でも、「自分と歳の近い人が、どんなことをやっているのか」を知り、自分自身の刺激に変換していくキッカケが得られた事は、今の私にとって非常に有意義なものとなった。

それは決して、今まで自分自身が歩んだ事への卑下や驕りなんかではなく、モチベーションの一つとして…。


2度目は、【今まで行ったことのない場所】で酒を飲んだ時だ。


私自身、前々から、現役ロックバンドのフロントマンが期間限定でオープンした居酒屋が気になっており、勇気を振り絞って、先日その店を訪れた。

HEY-SMITHのリーダー・猪狩秀平氏が年内限定でオープンした『居酒屋金土日』

そこには、私の趣味であるプロレスの要素も、私のアカウントが名刺代わりに活かされることもない。

ただ、それ以上に、1人の人間として身を置ける、アドバンテージのない場所に行けることが、私には堪らなく刺激的だったのだ。


私1人で入店したものの、たまたま4人席で相席になった方々にも、非常にお世話になった。

その中に、偶然私と歳の近い方が2人もいた。話した内容は、音楽だとか、互いの趣味だとか…。


正直なところ、プロレスバーに立ち寄っても、プロレス以外の話になる事は結構多かった。

ただ、"何かあればプロレスの話が出来る所"と、"プロレスの要素がない所"で話す内容は、幾らか色合いが異なってくる。

そういう場所で話していると、意外とプロレスコミュニティと共通している事案も結構あるんだと気付けたり…。
(ファン界隈の面倒な付き合いとか、会場での声出しとか)

これは、新しい場所だったからこそ体感できた事かもしれない。


まとめ

フォロワー様のアドバイスをキッカケに、歳の近い人を求めて飲みに行った今回の出来事は、私に大きな学びをもたらした。

自分の趣味が絡まない場所に出向く事も、趣味を嫌いにならない上で大事なのではないか、と。


別に私は、今のプロレスで築いたコミュニティや関係性が嫌になった訳では決してない。

ただ、現実世界とアカウントの評価の境目で、私を現実に留めてくれる重石のような居場所を、自然と求めていたのかもしれない。


どこかの誰かが「バーは人生の勉強机である」なんて言葉を遺していた記憶があるけれど、それは正しい気がする。

まだまだ、知らない景色や刺激が待ち受けているから。

なので、今いるところだけでなく、プロレスの絡まない場所にも足を運んでみたいと考えている、最近の私なのでした…。


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