【ルリユール倶楽部】 05 | シャルニエール界隈で迷子
2024年8月某日、ルリユール倶楽部の第5回目を目前に、わたしは焦っていた。前回から1 か月の進捗は、まるで亀並み。直前の2日間「亀は亀でも、もう一歩!」と、しょぼしょぼの目をこすりながら深夜に作業した。思ったところまではできなかったものの、やるだけやったと自分を慰めた。
この感じ、何かに似ているなと思ったら、子どもの頃の夏休みの宿題だ。折しも8月最終週、この歳になってもこんな夏を過ごしている自分が情けないやらおかしいやら。自由研究や読書感想文はいいとして、算数のドリルは毎年最後まで引きずった。苦手すぎて、わからなすぎて、放置しすぎて、罪悪感にさいなまれながらも巻末の答えを写しちまったあの日……。丸写しで正解ばかりだと先生に怪しまれるので、間違った答えをいかに自然に織り交ぜるかに苦心したのを覚えている(そういう苦心は厭わない)。
三つ子の魂百までとは、よくいったものだ。しばらく前に「ルリユールが日常に馴染みつつある」なんて書いていた自分が、このありさま。そんなこんなで迎えた倶楽部活動当日、眠い目こすって本づくりハウスへ。
第5回目にできた作業は以下の通り。トップを走る『クマのプーさん』はゴール間近、最後尾の『モモ』はようやく本文の作業を終えつつある。
まずは『書物装飾・私観』の溝を掃除し、シャルニエールに取りかかる。短冊状に切りだした革の長辺を、革剝き包丁で剝いでいく《写真2枚目》。
あまり知られていないであろうこの本は、20世紀のフランスを代表する製本工芸家、ポール・ボネの講演録だ。版元は、これまた国内屈指の製本工芸家である大家利夫氏が設立した指月社。つまり、わたしなんぞが製本するには恐れ多い一冊なのだ。しかし、吉祥寺の古本屋さんで出会ってしまったからには、いまがそのときだと信じたい。
剝いた革に糊を塗り、表紙のノドの段差に沿って貼る《写真3枚目》。この日はかよさんもシャルニエールの作業をしており、あれこれとこまかいことを確認し合いながら作業した。あぁ、これぞルリユール倶楽部の醍醐味。
シャルニーエルを乾かす間、『モモ』に移る。直前の2日間で作業したのがこの『モモ』で、花切を固定し、背貼りをし、背のラッパージュ(やすりがけ)を終えていた。さらに、倶楽部活動当日の朝に厚紙をビゾーテ(面取り)して《写真4枚目》、背の化粧貼りまでやっておいた。
化粧貼りがうまくいっていることを確かめて、ブランシュマンに進む。「ブランシュマン」とは、カルトンの両面に白い紙を貼る作業だ。表紙の厚さもさることながら、反りをコントロールするためでもあるので、ブランシュマンを終えた本は寝かさず、立てた状態で乾かす《写真1・5枚目》。
さて、『モモ』のブランシュマンの合間に、『書物装飾・私観』の裏表紙側のシャルニエールを貼っておいた。そろそろ半乾きになったので本を閉じ、金属板を挟んでローラーをかける《写真6枚目》。このローラーは、道具マスターのかよさんに「襖用が使えるよ」と教えてもらったものだ。
シャルニーエルについては、端の処理の仕方が曖昧なままだ。自分なりにやってみても、どうも仕上がりがよくない。そのうえ、かよさんとわたしで記憶が微妙に違っている。広漠としたルリユール宮で、迷子のわたしたち。
迷子だからといって膝を抱えてしょんぼりしている時間はないので、『クマのプーさん』に取りかかる。チリ(表紙の、本文より大きい部分)の幅をディバイダーで測り、それを基準に表紙の革の折り返し部分に切り目を入れ、余分の革を剥がしていく《写真7枚目》。
つづいて、整えた革の端をエラガージュする《写真8枚目》。「エラガージュ」とは、端を削ぎ落とす作業のこと。専用の刃物で一直線に削ぐのだが、綱渡りとしかいいようのない工程で、まったくもって気が抜けない。コツをつかめないまま作業するわたしの刃先は、どうにも頼りない……。
この日はここで時間切れ。5冊の中でも『クマのプーさん』や『書物装飾・私観』は終盤を迎えている。そうしてわかってきたのは、終盤になるほど不安な工程が多いということだ。とりわけアンコッシュやシャルニーエル、エラガージュなど、表紙についてはふわふわとした箇所がいくつもある。
ルリユールには、夏休みの宿題のようなごまかしは通用しない。工程を飛ばしたり、何となくでやっつけたりすると、そのツケのは必ず「残念な仕上がり」という形で己の本に降りかかってくる。だからこそこうしてつくりつづけ、自分の力で迷宮を脱するしかない。
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