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【ルリユール倶楽部】 02 | 革は「漉く」ものではなく「剝く」ものらしい

2024年5月某日、ルリユール倶楽部の第2回目を迎えた。前回からの1か月、これまでになくがんばった。背バンドにやすりをかけ、革を裁断し、革剝きを手配し、革剝き包丁を研ぎ……思いだすだけで息切れしそう。

さて、本やら革やら道具やらをつめたトートバッグを担いで本づくりハウスへ。到着すると、かよさんが「早めに来て、お昼ごはんを食べてたの」とくつろいでいた。それ、いいな。ずぼらなわたしは、いっつも時間ぎりぎり。昼いちに到着するには昼前に家をでるわけで、昼ごはんのタイミングを逃してしまう。この日も、お腹をぐーぐー鳴らしながら作業をはじめた。


第2回目の作業は以下の通り。こうして書きだすと「これだけ?」といった感じがするけれど、こんなものだ。ルリユールは一足飛びにはいかない。

ルリユール倶楽部
2024年5月某日
 作業記録 
● 書物装飾・私観(ボネ):進捗なし
● 朗読者(シュリンク):革剝き(途中まで)
● 若草物語(オルコット):背のラッパージュ
● クマのプーさん(ミルン):革剝き
● モモ(エンデ):進捗なし

まず取りかかったのは『若草物語』の背の「ラッパージュ」。何層かに重ねた背貼(せばり)をやすりで削る作業だ《写真1枚目》。丸背の弧を整えると同時に、天から地へも微かな弧を描くように削るのだが、30分ほどで終わるだろうと見込んでいたこの作業が2時間かけても終わらなかった。

原因は、背貼に使った紙にある。柔らかなコットンペーパーを使うべきところを、手もとにあった紙で代用してしまったのだ。「少々硬くても、いけるっしょ?」という浅はかな考えをした数日前の自分に教えてやりたい。おかげで、汗と紙粉にまみれた不毛の時間を過ごすことになることを。あまりにも終わりが見えず、途中であきらめてしまった。

つづいて、表紙の革を取りだす《写真2枚目》。ルリユールには、弾力性と耐久性に富む山羊革を使うことが多い。今回わたしが用意したのも、すべて山羊革だ。買ったものをそのまま使えればいいのだが、そうはいかない。まずは、専門の職人さんに「機械剝き」を依頼する。全体の厚みを均一にし、さらにコバ(折り返し部分)を一段薄くしてもらうのだ。

次に、専用の包丁を使って手作業で剝いていく。わたしがやるのは、ここからだ。この日剝いたのは、『クマのプーさん』のためのダークグリーンの革。ひさびさの革剝きは、すいすい進んだ《写真3枚目》。なぜなら、包丁の切れ味がよかったから。この日のために丹念に研いできた甲斐があった。

革は、平(ひら)の中心を頂点にして、なだらかな丘のように剝く。コバは限りなく薄く、コワフ(花布にかぶさる部分)やアンコッシュ(コワフの両端の切れ込み)の部分は厚すぎず、薄すぎず。その塩梅は革によるし、意匠によるし、スタイルによる。つまりは、つくり手次第だ。絶対的な基準を体得するのではなく、自分だけの基準をつくっていく — これぞルリユールのおもしろいところであり、むずかしいところでもある。

ふと見ると、同じく革剝きの作業をしていたかよさんが颯爽とシックネスゲージを取りだして、剝いた革の厚さを測っていた。0.01ミリ単位で紙厚を計れる尾崎製作所のペーパーゲージ「PG-10」は、紙の世界のプロたちも愛用する名機だ。それ、いいな(2回目)。

ところで、「革剝き」という表記に違和感を抱いた方もいるだろうか。「革漉き」のほうがよく見かけるし、わたしもそう思い込んでいた。しかし、あるとき校閲さんから「漉く」は「(和紙や海苔などを)のばして薄くする」の意で、「剝く」は「削って薄くする」の意だから、ルリユールの場合は後者が妥当だろうとアドバイスされた。というわけで、「剝」のほうを使っている。


この日の作業時間は約5時間。ラッパージュを終えられなかったのは残念だが、それよりも、明子さんと背貼用のコットンペーパーを探したり、かよさんと「コワフの厚さ、このくらいかな」と確かめ合ったりできたのがよかった。ルリユール倶楽部の目的は、補い合うこと。不安なことや学びきれていないことをお互いにフォローして、情報をシェアすることが、量をこなすこと以上に大事なのだ。

そして、ルリユールの手を止めないこともまた重要だ。少なくとも、わたしには。わたしにとってルリユールは、溜まった濁りや澱を浄化して、清らかな水を充填する儀式のようなものだ。それなのに、ともすれば日々の慌ただしさにかまけてルリユールから遠ざかってしまう。大切な時間すぎて「こんな片手間じゃできない」と、かえって後まわしになる。

だけど、月に一度の倶楽部活動のおかげで作業がまわりだした。一人で「毎月○日はルリユールの日」などと決めたところで到底つづかないのは身に染みており、普段は一匹狼なわたしも、この歳になってはじめて誰かと一緒にやることの張り合いというものを噛み締めている。

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