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給食後のゴチャ混ぜの残飯を見るのは平気か

今日、小5の息子の学活のテーマは「みんなが気持ちよく生活するために考えたいこと」だったらしい。

「目安箱」と称して自分の考えをタブレットに入力して提出したとのこと。

多くの子が、
◉タブレットの使い方について(休み時間にタブレットを使ってよいかの是非)の提案をしていた。

息子は、自分が常々困っていることについて提案した。

それは…
◉(給食の)残飯を、(すでに残飯が入っている食缶に)入れるのが苦手なので残飯を入れる代行人?みたいなシステムを、作って欲しいです。

という提案だった。

そして、自分の他にも苦手と思っている人がどのくらいいるかを知るために、クラスのみんなにアンケートをとったという。

息子は1年半もの間、放課後登校や不登校で、教室で授業を受けていなかった。

それが日に日にクラスで過ごす時間が増え、その時間は楽しいと話している。

しかし、給食の残飯を(すでに残飯が入っている)食缶に入れるという作業が苦手。

ときに『オエ💦』となりながらやっているらしい。その苦しさから、教室で給食を食べきれなかったときの残飯処理が不安で、相談室で食べることが往々にしてある。

今日の授業で息子が作成したアンケートに、クラス全員が回答してくれた。

【アンケートのテーマ】
給食後のゴチャ混ぜの残飯を見るのは平気か

【回答結果】
◉平気…7人
◉苦手、無理…7人
◉どちらかというと苦手…7人
◉無理なときもある、平気なときもある…7人

つまりクラス全員のうち4分の3は苦手、無理と感じていた。

息子の苦手なことについては、以前学校の先生に伝えたところ、先生も「気持ちはわからなくもない。学校以外の場ではやらなくてもいいことでもある」と話されてはいるものの、親の私が子供だった頃と同じシステムで現在も残飯は食缶に入れている。

効率等の面からも、このやり方が選ばれているかもしれない。息子が提案したからと言って何かが変わるわけではないかもしれない。しかし、今のやり方に苦痛を抱いている子どもたちがこれほど多いことが明らかになった。

今回息子がこのような提案をしたことが、私は心底嬉しかった。

前例踏襲の学校現場で、一人の先生が声を上げてもかき消されることも、児童生徒が自分の苦しみから、周りの意見を拾い集めて問題提起することは意味があるのではないかな、と思う。

息子は夕飯を食べながら今日の出来事を主人に話しながら「学校を変えるかもしれない」と言っていた。

今回の提案を通して息子の心に「多様性を認め合うこと」や、学校という場が「みんなと違うと居づらいところ」ではなく「みんなと違っても居心地のいいところ」にしたいという気持ちが芽生えつつあることが本当に嬉しかった。


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