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サイコパス、アスペルガー尊大型、回避依存者との関係に苦しまないために

医学的な分類ではありませんが、自己中心的でワンマンな行動を取りやすいアスペルガー尊大型と定義される人や、反社会性パーソナリティ障害のサイコパス(後天的であればソシオパス)、恋愛では複数の恋人を渡り歩く回避依存などに該当する人々は、”相手の立場を理解しない”行動を平常心で行うケースが多いです。

こういった書き方をすると、差別のように受け取られるかもしれませんが、世の中には「共感」や「愛情」のない人たちが確かに存在します。
愛着の対象(例えば血縁にあるお子さん)には、愛情を注いでいるように見えるため、偏った性格傾向が見過ごされていることもあると思います。

また、アスペルガー尊大型やサイコパスのなかには、Google検索すれば、名前も職場も当たり前にヒットする人物も多く、一見すると「成功者」であり、羨望の眼差しを向けられる人々も存在します。
そんな”立派”な人たちが、簡単に裏切りやモラハラを行うはずがないと思う人もいるかもしれませんが、それは大きな間違いです。

外面を取り繕うのがうまい彼らは、非常に魅力的に映ったり、相手の弱みを握るのがうまいため、簡単に上下関係を築くこともあります。
相手の感情を読み解き、利用することに非常に長けているため、(彼らにとって)望む結果を得やすく、利益を生み出すプロでもあるのです。

(アスペルガーの場合はコミュニケーションエラーのために、周囲がその綻びを感じ取っている場合もあります。特に身内の方は、表面上は至って優秀であるからこそ、彼らの実態が理解されずに、相当に辛い思いをなさっているケースもあります。)

私自身、頭では理解できても、そうやって好き勝手に生きている成功者を、どこか羨ましく感じることがありました。
カリスマ性を感じたからかもしれません。
そんなとき、本当の意味で「人間的に強い人」「信頼される人」「幸せな人」はどういう人なのかも同時に考えていました。

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当然ながら、幸せに今を生きている人は、むやみやたらに他人を傷つけたり、自分の勝手で振り回したり、貶めたり、相手の時間を不必要に奪ったりしません。
ときに内省し、結果がどうあれ、失敗しても前を向きたいと歩みを進められ、間違ったときに謝れる人は、やはり強い人なのだと思います。

ですがサイコパス傾向にあり、歪んだ強い自己愛をもつ人々は、「人がどう思うかなんて考える必要がない」と平気で言い放ち、常に自身の快楽を追求したり、目標を達成することにのみ忠実です。最終的に周囲から称賛される結果になった場合でも、本人にとっては相手のためではなく、すべては自己満足のための行動であり、仮に被害を被った人がいても、そんなことはお構いなしです。
どれだけ周りが傷付いても、です。
言い方を変えると、傷つけるために行動しているケースすらあるのです。
そして彼らが謝るときは、彼らが得をするとき、優位に立てるときだけです。

特に、アスペルガー尊大型の周囲の振り回し方は凄まじく、そこにパーソナリティ障害が絡んでいる場合は、なるべく早くその人物から距離を置くことが、自分の身を守る唯一の術です。恋人や配偶者に金銭的な縛りをかけること(女性に支払いをさせることを恥ずかしいと思わない、貯金を減らしたくないがために恋人にお金をかけたがらない、一方で思惑がある場合は財力で従わせる等)もあるため、彼らと共に生きても、心にゆとりのある生活はで望めないでしょう。

アスペルガーとパーソナリティ障害(例えばサイコパス)が併発しているように思われるケースは、どちらも似たような性格様相を示すために見分けがつきにくいということもありますが、複雑化すればするほど、定型発達者にはとうてい理解の及ばない人格が構築されます。

そして、彼らに好まれるのは、HSPや依存性パーソナリティの人たちです。
アスペルガー尊大型や反社会性パーソナリティ障害のサイコパス、回避依存または回避性障害の人々がターゲットにしやすいのは、親切心があり、理解力に長け、誰に対しても協力的で同情心の強い性格の持ち主であり、特にサイコパス様の人物は、用が済み、利用価値がなくなれば、いとも簡単にパートナー(ターゲット)を捨てます。

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彼らの恋愛や結婚は、利用価値がある場合にのみ成立します。
特に感情を把握することに長けるサイコパス器質の人々は、根本的には「愛情」を理解していません。
理解しているように見える場合には、ケースごとに学んでいることが多いです。例えば、「泣いているときは慰めた方がいい」など、常識的に行われるはずのことを理解したり、実行したりすることが難しいのです。

社会的な成功は誰もが望むもので、成功者の周りには信奉者が集います。
ですが、彼らのなかには「心をもたない者」が数多く存在することも確かです。

愛を知らず、時に姑息な手を使う者たち。
著しい罪悪感の欠如。
彼らの身近で穏やかに生きることは、不可能と言っても過言ではありません。
彼らに傷つけられていい人など、ひとりも存在しないのです。

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