生きる意味#4

生きる意味#3では「生きることに価値を求める」ことが、わたしを「生きることを他人に評価される存在」にしてしまった経緯を書いた

そして小学6年生になって、わたしはそれを象徴するような経験を与えられる

今回は「望まれない児童会長」というタイトルで、この経験を書き進めたい

児童会と児童会長

わたしが通った小学校には児童会というものがあった。
児童会は4年~6年の児童の代表が、各学年から男女2名ずつ、計12名の代表委員が集って、児童が学校の催しなどで自主的に決め事をする場合に協議する組織。
再三、紹介した通り、今であればAD.HD.LDを持つ児童として扱われていただろうわたしには、全く縁のなかった役割だった。

4年と5年は、会議に参加はするものの、6年の活躍を見ておくことで、自分たちが次の学年に上がった時のための「経験を積むため」という趣が強く、実質は6年生が運営しているといえた。
これは、1学年間での成長度合いの差が大きい小学校では、その性質上、自然の成り行きであろうと、今振り返っても感じる。

4年と5年は、学級委員と代表委員を兼ねることが出来た。
それは、兼務しても差支えがないほど、4年と5年の代表委員は仕事が少ないからだ。

6年生はというと、代表委員の中から1人、児童会長が選任されるので、仮に児童会長と学級委員長を兼務することとなると、負担が大きくなりすぎる、という配慮があり、学級委員は代表委員から除外するという決まりがあった。

6年生は、学級委員だけでなく、5年・6年で構成される各委員があり、その委員長・副委員長も必要となり、これも兼務とならないような配慮があり、また、代表委員は前期と後期の2期制となっていて、それも同じ児童は選出できないことになっていたので、27人だったわたしのクラスでは、代表委員を選出する投票となった時、大変な人材不足となっていた。

いたたまれない児童会長

代表委員は6年生の4名の中から、児童会長1名・副児童会長1名・書記1名・その他1名が、代表委員12名による投票で選任される。
毎年、児童会長は男子・副児童会長は女子・書記は女子・その他1名男子と相場が決まっており、わたしは、その他1名の男子となるべく、初の役職をクラスから与えられた。

誰もわたしが児童会長になるとは思っていなかったし、わたしも児童会長はA君に決まっているので「A君の手伝いをしたら良いだけだ!」と安心しきっていた。

ところが、肥満児でドッシリとした印象があり、普段下級生と親しく遊んでいたわたしを、4年と5年の代表委員が支持してしまい、投票でわたしが選ばれてしまった。

わたしのクラスはひっくり返った。
それはそうだ。
わたし自身が、一番、肝を冷やしていた。
雑用をすれば良いと思っていたわたしが、児童会長として数々の任務をこなさなければならなくなった。

自分の心配ももちろんだが、クラスメートにざわつく不安感が、子どもながらにいたたまれなかった。

恩師との出会い(学習障害からの脱却)

わたしは担任のK先生に「A君に児童会長をかわってもらいたい」と願い出た。
その時のやり取りはよく覚えている。

K)まさとしは、どうして変わってもらいたいんだ?
ま)ボクはA君みたいに勉強も運動も出来ないし、今まで何もやったことないし…
K)そうか、なら、まさとしもAみたいに勉強や運動を頑張ったらいい。先生も一緒に頑張るから、やってみよう

それからK先生の指導のもと、わたしはクラスのみんなに心配をかけないように、少しでも失敗しないように、勉強や運動に全力で取り組み始めた。

「出来ない自分は無価値」、そしてそのジャッジを他人に委ねていたわたしにとって、失敗は死刑に匹敵するようなものに感じていたように思う。
まさに必死だった。

必死の努力の甲斐があって、クラス1を争う出来ん坊だったわたしが、夏休みを迎えるころには、5年間の学力の遅れを取り戻して余りあるほどになっていた。
肥満は解消されなかったので、運動はそうもいかなかったが。

わたしの努力をよく知る職員室では、教頭先生を筆頭に、わたしの評価がすさまじいものになっていたようだ。
出来なかった児童の躍進ほど、教師の心を震わせるものはないのかもしれない。
わたしの経験でも、不器用なスタッフほど、その成長は育成担当からすると、たまらなく嬉しいものだ。
「物覚えが悪い」「不器用」というのは、時として強力な武器となることを、この経験は教えてくれるような気がする。

天国から地獄

話を元に戻すが、教師を中心とした大人たちからの称賛をあちこちで浴びていたわたしは、随分「得意」になっていたように思う。
そして10月、わけあって少し延長された任務をすべて終え、達成感と充実感に満たされていたわたしの心を、叩き割るような瞬間が待っていた。

女子1)まさとし君の児童会長、やっと終わったね
女子2)ほんと、最初はどうなるかと思った
女子1)でも、後期はB君だから
女子2)もう、安心だね

このような女子の会話が、廊下を歩くわたしの耳に刺し込まれてきた。
この時の、小学6年のわたしの気持ちを、なんと表現したら良いのか、今でも充分な例えが思い浮かばない。

わたしはクラスメートから死刑を宣告された。
もしかすると、それくらいの衝撃だったのかもしれない。

そして、小学6年生のボクは心に誓った。
もう二度と誰かのために頑張ったりするもんか

自業自得と心得り

死を意識して、父から与えられた言葉から「生きる意味・生きる価値」を求めるようになったわたしが、「出来ない=価値がない=生きている意味がない」と思い込んでしまったことが、この状況を創り出し、この感情を生み出した。

今、改めて思い直す。
まさに「自業自得」であったと。

次回は、現在、このわたし自身の経験に対して、このように解析している理由について書いてみたい。

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