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歪ながらも確かな愛/LAMB感想

LAMB

夫婦で羊飼いとして牧場を営む2人のもとで羊から産まれてきたのは異形の子羊だった。頭と右肩は羊でありながら、左手や体のほとんどは人間である。2人はその子羊を自らの子供として育てることにした。

2人が子羊を育てると決めたわけ

異形の姿で生まれたアダを見て2人はまるで天啓を受けたかのように自分らの子供として育てることを決める。
その理由は言うまでもなく、2人の本当の娘であり今は亡きアダに由来する。新たに産まれたアダを自分たちの新たなスタートと信じて疑わない妻の姿に、夫も最初こそ不安を覚えていたがやがてアダのいる生活を受け入れるようになる。弟にあれは何だと問われた際に、幸せだ。と答えたことに歪な家庭であると分かっていながら受け入れていくことを決意した姿が見て取れる。

LAMB/ラムとは

ラムとはラム肉、つまり子羊の食用肉という意味以外にも神の子羊(イエス)を表す意味合いを持つ。夫婦にとってアダ(アダム)は神が娘を失って途方に暮れている2人に与えたものであるという意味合いが強い。

ラストシーンの考察

羊男にライフルで夫を殺され、アダまでも連れ去られてしまう妻。悲しみに打ちひしがれ泣いていた彼女が、突如なにかに思い当たったようにアダが連れ去られた丘を見つめる。次のシーンではすでにその瞳に決意を宿らせている。
2人にとってアダは神が与えた唯一人の子供であったわけだが、実際には羊人間は種として存在した。
ライフルを使用したのは言うまでもなく、アダの実母をライフルで射殺したことへの意趣返しである。親羊が子供を奪われ取り戻そうと健気に家の前で鳴き続けた挙句に無残に射殺されたことへの、復讐である。羊男は羊を同族として見ており、羊を家畜として扱う人間に敵対しているということになる。まったく別の種として産まれ、羊を不当に扱う人間に怒っているのか、あるいは人間に虐げられる羊という種の中から一定の割合で特別な個体として産まれ、人間に復讐することを定められたのか。
アダの親羊を引きずって埋めに行くシーンにも、アダが連れ去られるシーンにも、背景には小さな谷が映っている。その谷を挟んだ向かい側に羊人間の集落が存在するのかもしれない。
メンテナンスをしていたはずのトラクターが谷の付近で壊れ、歩いて戻った夜に牧羊犬は消息を絶っている。つまり家の場所までも把握され、数日内にトラクターを修理するために再び戻ってくることまで分かっていたが故の完璧なタイミングだった。
最後に、夫婦の実の娘であるアダだが、夫が沼地まで走って探し回っているシーンが出てくる以外に死因など一切不明である。そもそも本当に死亡したのかもわからない。ラストシーンで妻は再び子供が行方知れずになって、さらに夫が射殺されたことで犯人がいることを確信した。2度も子供を奪われた彼女は必ず取り戻すことを決意したに違いない。

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