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#15 結局…征夷大将軍ってすごいの?

 みなさん歴活してますか?歴史探偵Qです。

 今回の歴史探偵報告書は「征夷大将軍」です!
2022年度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも
源頼朝が征夷大将軍となり武士の頂点に立ち
武士による政治を形成していきました。
その後、足利尊氏や徳川家康なども
征夷大将軍」となり幕府運営を行いました。

 学校の授業でも、奈良時代に征夷大将軍の人が
現れて、源頼朝がなって、足利尊氏がなって、
豊臣秀吉はなれなくて、徳川家康はなれて…
 まず疑問として「征夷大将軍」って
すごいのかな?と思いましたので
今回調査して参ります。

 今回も諸説ありの情報もありますので
歴史ガチ勢の皆様ご了承ください。
(情報共有もお願いします。) 

1,征夷大将軍って何?

 まず「征夷大将軍」とは時の最高権力
「大和朝廷」への帰属を拒んでいた
「蝦夷」を討伐する為に出来た臨時の
軍事的な役職のことです。
平安時代には臨時で出来た官職の為
忘れられていたとの話です。

 ※「蝦夷」…中央政権に対して、東北地方や
  北海道で生活していた人達のこと。
  アイヌ民族の先祖ともアイヌ民族そのもの
  とも言われています。

2,征夷大将軍って偉いの?

 次に、征夷大将軍と言うのはどれくらい
偉かったのかをご紹介します。

 武家政権が出来る前の天皇中心の政治では
天皇中心と言っているので一番偉いのは
天皇」です。これは武家政権でも不変です。

 では、No.2は?それは「関白」です。
「関白」とは、天皇を補佐する役職
貴族界のトップです。

 No.3は「太政大臣」です。
太政大臣は日本の政治を司る役職で
司法・行政・立法を司る最高機関。
今の日本の三権分立ではなく、三権合体
しているような役職です。

 No.4でようやく「征夷大将軍」が出てきます。
武士で一番偉い人のことを指し、
軍事部門のトップ。
 また大将軍という名前がつく役職は他にもあり
その都度、臨機応変に名前を変えながら役職を
貴族達は武士に与えていたということです。

3,征夷大将軍になる為には?

 源頼朝以前は,簡単でした。
武士で一番になれば征夷大将軍になれました。
 しかしその後は,源氏一族の人間しか
なれませんでした。
 なので,頼朝直系死後の北条は平氏の家系なので征夷大将軍にはなれず執権になるしか
なかったとも言われています。
なる気もなかったとも思いますが…

 後の「足利尊氏」は源氏の流れだったので
征夷大将軍になれました。 

4,征夷大将軍裏話

 先ほどの章で、源氏の一門しか
征夷大将軍になれないと言いましたが、
それは戦国時代でも続きます。

 足利家の力が弱まり、力をつけてきた
織田信長」は平氏一門であると勝手に名乗り、
(諸説ありますが、織田家の出処は越前の神官の一族だったと言われています。)
それに便乗し、羽柴秀吉も平氏を名乗りますが、無理がありすぐそれをやめます。
 まっ秀吉はどんなに見繕っても農民出身なので厳しいですよね…
  
 では、なぜ武士のトップは源氏一門しかなれないのに平氏一門を名乗ったのか…
 それは、武士が天下を取る巡りが
平氏→源氏→平氏→源氏ときていたからです。
 平氏→源氏→平氏(北条氏)→源氏(足利氏)と言う流れが世の中にあったから織田信長や
羽柴秀吉が平氏を名乗ったのです。

 まっ、この話は後世の創作として語り継がれているものなので信憑性はないと思いますが、
それくらい天下を取りたいと思わせる逸話です。

 また、本当に天下を取った徳川家康は
自分の家系図を色々と操作し、先祖を辿れば
源頼朝」に行き着く家系図を作成し、
自分自身が征夷大将軍に相応しいと正当性を
謳うものを作りました。
家康は源氏ブランドを纏った形になります。

5,まとめ

 最後に、今回学んだことは征夷大将軍は
政治的で都合の良いものであったのかな?
ということです。
 頼朝は征夷大将軍を受ける際、
消去法」で選んだという説があります。
朝廷から、役職をもらう際候補が4つありました。
①:惣官
②:征東大将軍
③:上将軍
④:征夷大将軍
の4つでした。

 しかし、結果として
①:惣官 → 前任者が平氏だったので拒否
②:征東大将軍 
  → 前任者が「源義仲」の為拒否
③:上将軍 → 前例がない為、朝廷が拒否
④:征夷大将軍 → 消去法で選択
という形になりました。

この消去法によって選ばれた役職(ブランド)が
武士のトップとして600年以上続くと考えると
面白いですよね。

以上
報告完了

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