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#24 「キングオブ弟」豊臣秀長の凄さpart1

 皆さん歴活してますか?
ご無沙汰しております。歴史探偵Qです。

 今回は前回に続いて豊臣一族から
「豊臣秀長」を取り上げたいと思います。

現在の大河ドラマ「どうする家康」では
佐藤隆太さんがムロツヨシさん演じる秀吉を
献身的に支えているシーンが非常に印象的で
兄弟仲の良さを感じましたが

本当のところはどうだったんでしょうか?

また、秀長は本当に優秀だったのか?

色々な話があるので
皆様にご紹介したいと思います。

■豊臣秀長とは?
 豊臣秀長は、1540年に秀吉の
3歳下の弟として生まれ、
農民の子として22歳まで暮らしてました。

農民であった「秀長」に転機が訪れます。
22歳の時に、いきなり兄:秀吉が現れます。
その時、秀長は誰かわからなかったと
いう面白い話も残っています。
それもそのはず、秀吉はまだ秀長が小さい
時には家を出ていたと話だそうです。

なぜ秀吉が現れたのか…
それは秀吉の出世に関連して来ます。
普通の武家出身の武将なら出世していくに
つれて、自分の家に仕官の応募が来たり
親類・縁者が部下になり規模が大きくなって
いくのだが、秀吉は百姓の出身であるが為に
身分が低いと蔑まれている為、応募が少ない
尚且つ、信用のできる先祖代々のつながりがある
部下がいるわけではないので思いだしたかのように
弟である秀長に白羽の矢がたったのである。

それからの秀長は戦→戦の連続でした。
美濃攻め、金ヶ崎の戦いなど秀吉軍の主力と
して働きました。この獅子奮迅の働きの裏には
秀吉の弟だから優遇されているなどの声に
負けない為だったとも言われています。

さらに秀長は手柄をたて、織田信長にも実力を
認められ信長軍の先鋒を務めるまでの実力者に
なりました。この頃には羽柴家の家中をまとめあげ
秀吉の名代として活躍していました。
そんな出世街道を爆進していた秀吉・秀長ペアに
予想だにしない出来事が起きます…
「本能寺の変」です!

本能寺の変が起き、羽柴家が置かれる立場が
どんどん変化していくと共に秀長の立場も
変わっていきます。

変化していく秀長についてはpart2に
書いていこうと思います!
また、秀吉と秀長の関係についても
書いていこうと思います。

ご覧いただきありがとうございました。




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