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歴史探偵エッセイ:京都写真祭り④

皆さん歴活してますか?
歴史探偵Qです!

今回でひとまず今年行った京都旅行に関する
記事は最後になります。

1月に行った京都旅行の話を半年かけて
記事にするとは思ってもいませんでした!笑笑

最後まで見ていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

▪️豊臣秀次に注目!
 少し前の記事に京都にある豊臣家の足跡、
史跡をめぐる記事を書きました。

再来年の大河ドラマが豊臣秀吉の
弟「豊臣秀長」というのもありますので
豊臣家に注目しているのですが…

やはり私は秀吉の甥である「豊臣秀次」が…
どうしても頭から離れないんです。

去年、豊臣秀次も記事にしていますが
秀次の人生の終わり方も関係しているのか
本当に資料が少ないんです…
だから足で稼ぐしかないんです。笑

●秀次の墓がある善正寺
 京都には秀次に関するお寺が2カ所あり
今回の旅行では両方行きました!
秀次に関するお寺が京都にありましたら
是非教えてください!

1カ所目は「善正寺」でした。
秀次のお墓までは見れませんでした。

●2ヶ所目は「瑞泉寺」
 瑞泉寺は豊臣秀次一族の墓所となっています。
秀次に関して書きたいことはたくさんあるので
また今度まとめたいと思います。

●関ヶ原「東軍」勝利の要因?
 瑞泉寺には一族の供養塔や秀次の首塚が
置かれており、一族の供養塔の中に
「駒姫の塔」があります。

「駒姫」とは秀次の側室で戦国大名
「最上義光」の娘です。
駒姫に関しては秀次の側室になって日が浅く、
まだちゃんと会っていないのに殺された
という話があります。

この駒姫の悲劇を始め、秀次に関係のあった
戦国大名たちがどんどん秀吉や石田三成を
はじめとする奉行衆に遺恨や恨みを持つことに
よって関ヶ原の戦いで石田三成に
味方する事なく、東軍に味方するという
状況が生まれました。
結果、秀次の死は豊臣政権を短命にし、
徳川幕府誕生を早めたと言えます。

▪️角倉了以という豪商
 角倉了以は朱印船貿易で莫大な利益を
生んだ豪商です。
また、京都ー伏見間の水路である
「高瀬川」を開発し京都の水上運送の基礎を
作った人です。 

ではなぜこの人と秀次がつながるのでしょうか?
実際、面識があったかは分かりませんが、
角倉了以の弟は秀次のお医者さんだったと
言われています。なのでもしかしたら
面識はあったかも知れません。

そして高瀬川を開発しているときに、角倉了以は
三条河原にあった秀次一族の遺体が捨てられた塚
「畜生塚」が度重なる鴨川の氾濫によって
崩れていることに心を痛め、供養するお寺を
建立したそうです。

そしてこの瑞泉寺の付近には角倉了以の
邸宅や別邸があります。
この別邸は過去には明治の政治家や近江商人の
別荘を経て現在は和食店として
利用されています。


▪️有名な観光地「二条城」
 今回の旅行で唯一と言っていいほど著名で
多くの観光客の方がいる史跡「二条城」に
行きました。

二条城は高校の修学旅行以来に行きましたが、
やはり大人になってから見た方が美しさや
荘厳さが伝わりますね!

●二の丸御殿に見惚れました。
 二の丸御殿に建物の美しさと強さ・恐怖を感じ
徳川に逆らうなよ!というメッセージを
受け取った気持ちになりました。

■まとめ
 2024年1月に行った旅行の思い出を写真と
共にエッセイ?として書かせていただきました。
まだまだ京都という街を知りたいし、
深掘りしたいと思っています。
私は歴史がもっと好きになりました。

                         以上

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