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【栗山英樹のレキシズム 第2回】 ×城郭考古学者・千田嘉博  「武将たちの決断や覚悟が見える。それが城の魅力です」(月刊『歴史人』)

昨年、2023WBCにて日本中を感動させた名将・栗山英樹氏が自ら〝歴史を学びたい〟と望んでスタートした本連載!
第2回は歴史を語るに欠かせない〝城〟についてです
歴史から学ぶことの先に何があるのだろうか?
“城”のどこが魅力なのか? なにを見ればいいのか? 
なにから見始めてどのように歩けば、魅力をもっと感じられるのか?
そして、なぜ城が作られたのか城からなにを感じ取れるのか?
城郭考古学者・千田嘉博氏と栗山英樹氏が、深く語り合いました!

栗山英樹(2023WBC日本代表監督)
くりやま ひでき/1961年、東京都生まれ。1984~1990年までヤクルトスワローズでプロ野球選手として活躍。2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を務め、1年目でパ・リーグ制覇、5年目には日本一に導く。2021年に日本代表の監督に就任し、2023年WBCで世界一となる。現在、日本ハム球団のチーフ・ベースボール・オフィサー。

千田嘉博(城郭考古学者)
せんだ よしひろ/1963年愛知県生まれ。城郭考古学者。大阪大学博士(文学)。2009年から奈良大学教授。2014年〜2016年にかけて奈良大学学長。現在、名古屋市立大教授・奈良大学特別教授。NHK大河ドラマ「真田丸」城郭考証を務める。主な著書に『戦国の城を歩く』(ちくま学芸文庫)、『信長の城』(岩波新書)、『歴史を読み解く城歩き』(朝日新書)など多数。

取材・文/上永哲矢 撮影/春日英章 取材協力/勝竜寺城


「城郭はもちろんですが、築城者の思いに惹かれるんです!」(栗山) 

姫路城の素通りが
「城郭考古学」への第一歩


栗山英樹(以下、栗山)
 いつも千田先生が出演されるテレビ歴史番組を観て、お城への愛情、アツい思いを受け止めています。先生が城好きになられたきっかけは何だったのでしょうか?

千田嘉博(以下、千田) こちらこそ、いつも野球を楽しませていただいています。私は大学での講義でもテレビ番組でも、どこか遊びに行っているような、本当に好きなことを仕事にさせていただいているわけで幸せに思います。きっかけは、中学生の夏休みに友人たちと地元の名古屋から小豆島・淡路島へ旅行したことでした。目的地で見学すべき所は出発前に散々調べていったんですけど姫路駅で新幹線から船に乗り換えるとき、ふと姫路城の天守が目に入ったんです。駅からドンと姫路城の姿が見えて感動しました。こんなに綺麗でこんなに強そうなものが世の中にあったのかと……。ただ、もうちょっと大人になっていたら、船を一本遅らせて、姫路城を見に行くことが出来たと思うんですけど、結局そのときは素通りしただけで実際には訪ねていないんです。家に帰ってから姫路城がどんなところなんだろうと図書館で調べ始めたのが、すべての始まり、第一歩なんです。

栗山 観られなかったことで好奇心が駆り立てられたのかもしれないですね。

千田 あのとき実際に姫路城を訪ねていたら「そうか」で終わって、こういう仕事には就いていなかった可能性もあります。結局、実際に行ったのは大学生になってからでした。でも姫路城を調べてからは、城に夢中になり、クラスメイトが野球の練習をしたり遊んだりしているときに、私は城の本・武将の本を読んだり実際に近くの城跡を訪ねたりしていました。中学校の先生からも高校の先生からも「千田君、城のことはいいから学校の勉強しようね」と、ずっと言われ続けていました(笑)。中学生の頃から友人に「お城博士」と言われていたんですけれど、ちゃんとそうなることができて良かったです。

栗山 僕、「城郭考古学者」という先生の肩書に関心があるんです。やはり考古学というと、すごく大昔のイメージもあって。

千田 中学生の頃から家の近くにある古い城跡にガサガサ入って行くのが楽しいって思っていたものですから、机に向かって古文書を読むのではなく、現地に残る城跡から調べようと思ったんです。たしかに、考古学というと縄文時代とか、卑弥呼の弥生時代とか、文字の資料のない時代を研究する学問っていうイメージが強いと思うんですが、実は物的な資料から歴史を考えるっていうことは紙などに書かれた文献史料があってもなくてもできるんですよね。ただ、私が学生時代に城のことを考古学から研究したい、勉強したいという取り組みは学問の分野としては確立前だったので「考古学で城を研究するのは無理」とよくいわれました。そういうなかで分野を育ててきました。でも、城というのは単に現地を調べればいいわけではなく古文書の知識も要るし、地理学の知識も要るし、総合的に全体を調べることが大事です。考古学を中心に周りのことも合わせて調べて全体像をつかみ、城跡から歴史を考え、守り活かすのが城郭考古学です。


負けられない戦いに臨む 
人の拠り所だった城という存在

栗山 僕が城を好きになったのは、遠征などで時間ができたときに観に行くようになってからです。とくに監督になってから戦国武将と監督って、組織運営をするうえで近いところがあるように感じていて。城を訪ねると築城した武将のことがわかり、天守に登ると天下をとったような気分にもなれて(笑)、新たに頑張ろうという気持ちが湧いてきます。千田先生は、城のどこに惹かれますか?

千田 やはり城というものを通じて、武将たちの決断や覚悟が見えてくるというところじゃないでしょうか。ムラとムラの争いだったのが、やがては国同士の争いになって、それが周辺の国々にまで影響しあう戦国時代になった。その戦いに臨んだ武将たちの決断というのは大変に重くて、負けたら自分の命も家族の命もない。家臣たちや領民たちも酷い目に遭う。だから負けられない。武将の決断は本当に重かったと思うんです。その拠り所であり、地域のシンボルがまさに城でした。自分の力を発揮して地域を変えていくことができた、そういう時代を生き残るための力強さなどが城を調べて見えてくるし、城の魅力かと思っています。今でいえば甲子園の大会とか、WBCの準決勝や決勝などはまさに負けたら終わってしまいます。ある意味では「戦い」と同じかなと思いますが、いかがですか?

栗山 おっしゃるとおりです。もちろん、本当に命がかかっていたかの違いはありますが。勝つための作戦も、本当にいい作戦だと思っていても、相手だって同じような作戦を考えているだろうという気持ちで臨んでいます。コーチに賛同されず、反対されるぐらいの作戦が本当はいい作戦だったという気付きもありました。

千田 戦国時代のなかでも常識とされていた作戦がどんどん変わっていましたね。たとえば武田信玄は名将でしたが、最後まで躑躅ヶ崎館を拠点にしていました。その一方で領地が拡大していくと、最前線の城で何かあっても本拠地からは遠くすぐに対応しにくくなってしまいました。当時の常識だった本拠地を動かさないという作戦には勝ちつづけると大きな問題があったのです。それを変えたのが織田信長です。信長は清須城、小牧山城、岐阜城、安土城と次々と自分の拠点を移していって、常に敵との距離を詰め、いつでも前線を助けにいける体制をつくりました。こういう部分も、各地の城の歴史を知ることでわかってきます。

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