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【主婦勉!】神社のあれこれについて知りたい~神宮編~


気が付くと前回からもう2か月も
経ってしまった。

その間時々自分の記事を読み返しては
誤字脱字に気づいたり、
わかりづらいところを修正したりしていた。
そうやって修正版を再投稿した場合、
フォロワーさんのタイムライン的なものに
またあがってしまうのだろうか。
そうだとしたら本当にすみません。
そしてこれからもちょいちょいそういうことが
あると思います。

さて、神社もいろいろ調べた、とはいえ、
まだまだ白山、春日、住吉、愛宕etc...と、
他にもたくさん神社はある。

しかし正直そのあたりの神社は
今まで人生を通してあまり
馴染みがなかったりするので、
(もちろんこれから、ということはあるかもだけど)
長く続いた神社編、
あとは出雲と伊勢系を調べて
終わりにしようと思う。

まずは伊勢神宮にしよっかな。
神宮系というか。

ご祭神は言わずと知れた
天照大御神(アマテラスオオミカミ、以下アマ姉)。
皇室の祖、
つまり皇祖神とされている神様だ。
(そんな方をあだ名呼ばわりでごめんなさい。
わかりやすさと親しみ重視ってことで...汗)

アマ姉を祀る神社は、
神明神社、神明宮、皇大神社などとも呼ばれ
全国に約5000社ほどあると言われている。
その総本山が三重県にある伊勢神宮、
正式名称は”神宮”、であり、
神社本庁の本宗。
つまり日本神社界の
”トップofトップ”的存在だ。

神宮には
アマ姉を祀る”皇大神宮”(以下内宮)と、
衣食住の守り神とされる
豊受大御神(以下、お豊さん)を祀る
”豊受大神宮”(以下外宮)の2つの宮がある。

それに別宮、摂社、末社など含めた
合計125社宮が「神宮」である。
125社!さすがトップofトップ!

神代に天孫降臨があった時、
つまり、
アマ姉の孫であるニニギが
この世を治めるために
高天原からこの世に降りるって話に
なった時に、
※詳しくはこちら↓↓

アマ姉が
「これを私だと思って祀りなさい。
自分が寝る所にこの鏡も必ず置いて、
毎日しっかり祀るのよ!」と言って
自分の魂をめちゃくちゃ注ぎ込んで
ニニギに渡したその鏡こそが、
この伊勢神宮のご神体である
”八咫鏡(ヤタノカガミ)”なんだそうだ。
アマ姉の化身的なものと考えて良いのかな?
ガチ”三種の神器”の一つである。

この鏡、もともとはアマ姉が
いろいろあって天岩戸に隠れた際、
そこからなんとか出さないとと
いろんな神様が試行錯誤した時に
造られた鏡なんだそうだ。

で、ニニギは言われた通り
大事に大事にその鏡を祀って、
無事この世に降臨し、
やがてその数代後の神武さんが、
神武東征を行って奈良に都を建てて
初代天皇になってからは、
八咫鏡は天皇の住まう場所、
つまり皇居にて大事に祀られることになった。

その後しばらく八咫鏡は
皇居の中で祀られていたんだが、
(それを”同床共殿”というらしい)
第10代崇神天皇の時に
「神の勢い激しく、同床共殿に堪え難く」
なったらしく、
やっぱり神様は神様として、
皇居ではない、他の神聖な場所に
ちゃんと祀ろう?という話になったんだとか。

”神の勢い激しく”って、どういうこと?
鏡、大暴れ的な?

この状況、
ややこしそうなんでスルーしようかと思ったけど
結構大事な場面っぽいので
説明しない訳にもいかなそう…
なのでざっと説明すると、
(あくまで素人解釈です!)

この崇神天皇の御代は
とにかく疫病が大流行しまくっていて、
天皇もそれはそれは困っていたそうなのだ。

そんなある時、天皇の枕元に一人の老人が。

崇神「あ、あなたは?」
老人「うむ。ワシはオオモノヌシ。神じゃよ。
お前さん、全然おさまらん疫病に
困り果てとるだろ?」
崇神「おおー、さすが神様!そうなんスー!
もう何やっても全然ダメで、
朕、正直へとへとっス…
どうにかしてくださいよー」

老人「うむ。あれな、実はワシのせいなんじゃ」
崇神「なぬっ!ジジィ…じゃなくて神様!
マジすか?!え、あなたのせいなんすか!?
ちょ、どうにかしてほしいんですけどっ!」

老人「うむ。その昔オオクニヌシがワシを
三輪山に祀ってくれての。
ワシもその頃は
かなりブイブイ言わしておったんだが、
最近はだーれも見向きもしてくれん。
住まいもボロボロで、
ワシはもう全然実力が発揮できん。
全然力が出んのじゃ。

大阪に”オオタタネコ”という
ワシの子孫(子供?)がおるで、
そいつに頼んで、もっかいワシを
盛り上げてくれんかの」
崇神「それで疫病がおさまるんなら、
お安い御用で!オケマルフォイ!」

という訳で、
崇神天皇はオオモノヌシ(以下モノさん)を
改めて三輪山に祀りなおし(今の奈良県の大神神社)
疫病は無事おさまったと。

で、久々に平穏な日々が訪れて、
はあぁ、本日も異常なし!
昼寝でもキメてやろっ!と
崇神天皇がうたた寝を始めた時(違うと思う)、
枕元に一人の見知らぬ女性が…

崇神「え、ど、どなたで?」
女性「え、わかんない?」
崇神「え、えっと… え?」
女性「え?マジで?毎日一緒に寝てるじゃん」
崇神「(目をゴシゴシ)え?えええ?」
女性「あー、やだやだ。
え?ほんとにわかんないの?」
崇神「・・・・」
女性「私だよ!アマ姉だよ!
毎晩一緒に寝てるだろうが!
そこに祀ってる鏡はなに?
毎日毎日髪型ばっかり気にしやがって、
違うだろー!使い方が違うだろー!」
崇神「(絶句してそっと正座…)」

という訳で、今度はアマ姉がやってきまして、
今度は愚痴を言う訳です。

アマ姉「あのさー。
私、最近全然調子が出ないんだよね。」
崇神「え?」
アマ姉「あんた最近オオモノヌシ、
祀りなおしたでしょ?
たぶんそのせいだと思う。
あいつまたなんかめちゃくちゃ
ブイブイ言いはじめちゃってさ。
なんかすごいのよ。
なんというかその”圧”的なやつが。
それが合わないのよ。私と。
なんかバランスがうまく取れないの。」
崇神「は、はぁ…」
アマ姉「たぶんこのままいくと…
また荒れるね。世は。この世は。
荒れちゃうね。というか…
もはやなんかもう...いっそ荒らしたい気分?
洪水かな?疫病かな?
あ、それかまた私、隠れちゃおっかな?
また世の中真っ暗にしちゃう?とか?
なんせ私ったらアマテラスだからぁ?
なんでも出来ちゃう的なぁーーー?!」
崇神「ちょちょちょちょちょ!ちょ!
わかりました!よーく、わかりました!
やりますやりますなんでもやります!はい!
なんでしょ!アマ姉のご要望はなんでしょう!」

アマ姉「はい。ありがとう。
そんな訳で、私も新しい家が欲しいの。
ぴかぴかの私にふさわしい、
誰にも負けない、
”ザ・めちゃデカぴかぴかハウス”が
どうしても絶対に、欲しいの~!」

という訳で、崇神天皇はさっそく
自分の娘のおとよちゃんに
アマ姉を祀るにふさわしい場所を
探すよう言いつけて、
おとよちゃんは言いつけ通りに
いろいろと探し歩いた結果、
笠縫邑(カサヌイノムラ)という場所に
べストプレイスを見つけて
ここでアマ姉を祀ったという。

それが今の
奈良県桜井市にある檜原神社だ。
今は大神神社の摂社になっている。
なのでここは「元伊勢」と
呼ばれているんだそうだ。

しかしこのおとよちゃん、
すっごく真面目な良い子だったのか、
更にふさわしい場所を求めてまた転々とし、
それでもベストな場所が見つからず、
その後11代垂仁天皇の娘である
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)がその役を引き継ぎ、
トータル約90年というすさまじい時間をかけて
ついに今の伊勢の場所に決まったそうだ。

なので「元伊勢」は檜原神社だけでなく、
その転々としていた時に
一時的にでもアマ姉が祀られていた所は
すべて「元伊勢」と呼ばれているようで、
それは近畿地方を中心に20か所を超えるとも
言われている。

倭姫命がアマ姉を伊勢の地にお連れした時、
アマ姉がこの場所をたいそう気に入って、
「是の国に居らむと欲ふ」、
つまり、
「この国に住もうと思う」とおっしゃったので、
長い長い旅を経て遂にここに住まわれることが
決まったんだそうだ。おつかれ…

日本神話や神武東征を見てても、
アマ姉って結構なんつーか
いろいろとかまってちゃん的な神様のように
勝手にお見受けしているんだが、
90年もの長い間、
みんなさぞかし大変だったでしょうね…と
なんとなくお察し…

つって、ここまで
我ながらしょーもない寸劇とかも入れながら笑
長々と書いたけれど、
実は”同床共殿”は
アマ姉(天の神)だけでなく、
モノさん(この世の神)も一緒に
祀られていた、という説もあって、

いずれにせよ先に「ちゃんと祀って」と
言ったのはモノさんの方なんだが、
今まで一緒に住んでたはずのモノさんが
いつの間にか
ぴかぴかマイハウスを建ててもらって
独立してブイブイしはじめたっつーのに、
自分は相も変わらず天皇との同居生活、
とかになったら
そりゃまぁアマ姉だって面白くないわな、
そりゃ大きなぴかぴかマイハウスを
要求するわって話で、

そう考えると、
この安住の地を見つけるまでに
90年かかったってのは、
先に自分の宮を建てなかったことに対する
アマ姉なりの復讐だったんじゃないかとか
想像すると、
話が一気に味わい深くなったりする笑

まぁ解釈とかいろいろ全然違うんでしょうが、
というか、そもそも古事記と日本書紀で
書いてあることが違ってたりするので、
この辺のユレというかブレというか
違う説的なものはもうしょうがないっぽい。

私、学者でもなんでもない
ただの暇な主婦ですので、
(開き直り方がエグイ!)
そのあたりの捉え方は自由ということで
どうぞ勘弁ください。


はい。

で、外宮の豊受大神宮は何かというと、
これは”アマ姉の食事を司る神様”を祀る神社で、
衣食住、産業の神様として広く信仰されている。

21代雄略天皇の時に、
またもや夢枕にアマ姉が現れて
こう言ったそうだ。

「ねえ。ちょっと。聞いてよ。
ここに住み始めて私もう
500年くらい経つんだけどさ。
知ってる?
私、毎日毎日一人でご飯食べてるの。
わかる?500年だよ?
500年ずーーーーーっとぼっち飯。
もう絶望的に寂しいわけ。いくらなんでも。

丹波の国にさ、ご飯の神様がいるじゃん?
等由気太神(トユケオオカミ)って子。
あの子ちょっと呼んできてくれない?
専属料理神にして欲しいんだよね」
ってことで(違う気もするけど)、
呼ばれたのが、等由気太神こと
豊受大神ってことらしい。
まぁこれはしょうがないね…
さすがに500年ぼっち飯は絶望しかないね…

しかし天界なんていくらでも人…じゃなくて
神様がいるだろうに、
しかもアマ姉ともなれば
その気になったらいつでも誰かが
スッとんでくるような気もするけど…
そういう訳にはいかなかったんだろうか、とか
まぁしょうもないことを考えてしまったり。

そんな訳で豊受大神が祀られている外宮では、
1日朝夕の2回、
忌火屋殿(イミビヤデン)という場所で
神撰(神様の食事)が作られ
お供えされているそうだ。(日別朝夕大御饌祭)

高野山でも「生身供」(ショウジンク)といって、
空海に朝夕2回お食事を運ぶ儀式があるし、
普通の神社でも基本的に
神様にお食事を御供えしている。

個人的には
神様がごはんを食べるという発想?は好きです。
なんというか、存在が一気に近くなる。

という訳で長くなってしまったけれど、
伊勢神宮の成り立ちはこんな感じです。

アマ姉の詳しいプロフィールについては
簡単日本神話を御一読願えれば
だいたいわかって頂けるんじゃないかと
思います。
↓↓

※繰り返しになりますが、
あくまで何者でもない素人主婦の
ちょい調べですので、
間違っているところもあると思います。
ざっとこんな感じかな程度でお楽しみください。




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