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ニュルンベルグの吸血鬼事件

クーノ・ホフマンは物静かな男だった。というより元々口がきけなかった。耳も同じく不自由だった。幼少期、酒狂いの父親からしこたま殴られた為である。暗い過去を引きずって成長したホフマンは立派な社会不適合者となり、現実に背を向けオカルトの世界に耽溺した。サタニズムや黒魔術に関する本を読み漁り、屍姦と吸血行為を伴う「儀式」によって自己を改善しようとした。
「そうすれば背丈も伸び、逞しい男になれると思ったんだ。逞しい男になれば結婚も出来るし、可愛い子供も産まれるとね」とは彼の言葉である。

1.静かなモルグに夜はふけて


それは1971年の4月に始まった。ドイツ各地の墓地で、死体目的と見られる墓荒らしが多発した。掘り出された死体はもれなく埋葬されたばかりのもので、どれも身体に悪趣味な悪戯の跡が見られた。オヒスドルフの墓地では多数の死体がまるで夜の内に蘇って歓談していたかのように、蓋の外された棺から半身を起き上がらせていた。ある少女の胸には無数の噛み跡が残され、陰部に血が滲み、左腕にも傷がつけられていた。

3日後、そこから少し離れたある村の葬儀屋でもガンで死んだばかりの女が蓋の外された棺の端に座っていた。閉じた瞼がマッチ棒を差し込まれて無理矢理開かされており、下着の股の部分が切り取られていた。デンマークとの国境付近に位置するフレンスブルグでの事件は最も猟奇的である。死体からは首が切り取られており、付近の路上に頭部から抉り取られた器官が点々と落ちていた。

下手人はもちろんホフマンだ。彼はおよそ1年間この「儀式」をやり、複製した鍵を使って夜毎墓地に入り込んでは死体を切り刻んで固まりかけた血を飲む秘密の遊びに耽った。トロイヒトリンゲンで男の死体から抉った心臓に見入り、プラインフェルトで女の腹を開けて中を覗いた。出かける前に新聞の死亡告知欄に目を通し、埋葬されて間もない死体のありかをチェックする事を欠かさなかった為彼はいつも新しい死体にありつけたが、物言わぬ死体への興奮の熱が冷めたのだろう。ホフマンは一旦墓地への侵入を止め、死体を"享受"する側から"生産"する側に回る事に決めた。

2.カップル殺しとそれから

アドラー(左)とリジー(右)
(murderpedia.orgより)

1972年5月6日の夕暮れ時、彼は路肩に停めた車の中で眠りにつく2人の男女を見つけた。結婚を控えていたマーカス・アドラーとルース・リジーのカップルである。ホフマンは早速リボルバーを抜き、狙いを定めてまずアドラーの頭を吹き飛ばし、次いで煩く喚くリジーの胸に風穴を開けた。砕けたガラスばかりがキラキラと美しい車内で、彼は先ずアドラーの死体を濡らす血を飲み、リジーの衣服を引き裂いて犯した。ホフマンは10分程不幸なカップルの死体を弄んでいたが、ふと注がれる視線に気づくと、しっかり死体から奪っておいた指輪と財布を手に急いで現場を去った。視線の主は猟を終えた帰りのハンターで、ホフマンが立ち去るのを待ってすぐさま警察に通報した。
それから4日後、彼は逮捕された。死体安置所に侵入し、死体と接吻している所を警備員に見咎められたのだ。銃を乱射して逃走したが、面が割れていた為警察の捜査網に引っかかったのだった。
報道されたその異常な遍歴をして、ドイツ国民は彼をこう評した。
「ニュルンベルグの吸血鬼」
(The Vampire of Nuremberg)と。

吸血鬼の肖像:クーノ・ホフマン
「戦慄の怪奇人間」より


裁判で終身刑を言い渡された「吸血鬼」ホフマンは、獄中から当局に手紙を出している。
「新鮮な温かい血、できれば処女の血を2〜3リットル分けてもらいたい」との嘆願であった。
「バカは死ぬまで治らない」という言葉がこれ程似合う男は、そうそういないだろう


引用・参考文献

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