【エッセイ】ずれている自分
日曜日の午後、家族を見送り、
ひとり、掃除をして夕飯の準備をする
のんびりとした時間に幸せを感じた
嫌いになっていた料理も
何だか楽しい
家族だからといって
皆に合わせて行動をする必要はないのだ
家族の思い出を増やそうと
無理に一緒に出かける必要もないのだ
こういうひとりの時間に
幸せを感じるのが『私』なのだ
家族が帰ってきたのは夕暮れ時
子どもはママと公園に行きたがる
こんな時間だけど
ご飯もできてる
まだ公園もあと1時間は開いている
ひとり、家事をして元気になったわたしは
皆で公園に行くことにした
車で15分
そこには広々とした公園があり
駐車場に着いた時には
もう日が沈むところだった
駐車場から公園のゲートへ向かい
すれ違うのは
公園帰りの家族連れや
スポーツを楽しんだ後の若者たち
今から向かうの?
という顔をする人もいたけれど
目の前には夕焼けが広がり
風は涼しく
気持ち良かった
夕暮れ時の広々とした公園は
人がまばらで
人混みが苦手なわたしには調度良かった
小一時間遊んだところで閉園となったが
家族とのんびり遊べたことで
わたしも気分がまた変わり
家族といることの幸せを感じることができた
無理に模範的なお母さんになることはない
そもそも理想のお母さんは
理想のお母さんであって
『私』ではないのだ
皆と一緒に行動するのが苦手で
同調することが苦手で
模範的な時間の使い方ができないのが
『私』なのだ
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