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僕の来た道

おはようございます。久々のnoteの更新。
今日から全編フリーの記事を書いていきます。もちろん有料マガジンも書いていきますが、ここでは音楽のことはもちろん、音楽以外のことにも触れて色んな角度から記事を書いていく予定です。お知らせなどもこちらでしていければと思ってます。よろしくです。

そこで今更ですが自分について書いてみようと思う。と言っても全てを書くと長くなってしますので主に音楽との関連性の高いところから摘んで書いてみる。

遡ること小学5年生のこと。苦手な国語の授業で「詩」を書くというものがあった。全く浮かばなくて残り5〜10分しかない時計を見て思いつきで「針時計」という詩を書いて提出しその場を凌いだ。

そしてそんな授業のことも忘れていた頃、担任の先生から僕の書いた「針時計」が市内の何かしらの賞に選ばれるかもしれないという話がきた。その時の僕は「よくわからない」という思いだった。正直深く練って考えたものではなかったから。
その後実際に優良賞をもらった。よくわからない中でフワフワしている状態だった。得意なことだとも思ってないことで褒められたのもよくわからなかったけど自分の人生のなかでハッキリとわかりやすい「評価」というものをもらった作品は今のところこれが最初で最後だと思う。今後も頑張って作品制作に取り組みたい。

針時計

小さい針がこども。
大きい針がおとな。
ほとんどの時間は
はなればなれ。

小さい針はこども。
大きい針はおとな。
十二時は手をつないで
いっしょ。


この作品が評価されたことで僕は調子に乗ったんですね笑
そこから詩を書くようになりました。人間関係ではあまりうまくいかず、そこから感じたことを言葉にすることを覚えたのでよかったのかもしれない。当時は今よりも他人とコミュニケーションを取ることが苦手だったから表現をしていく手段になった。
中学1年生ごろまで沢山の詩を書いた。当時はまだ作文用紙に書いていたので紙がどんどん増えていった。読み返すわけでもないけど書いていると安心したのだと思う。何遍書いたのかも覚えてないし、既に過去に書いたものは処分してしまった。
どうせ今見たら恥ずかしくて読んでられないだろうから笑

そしてそこから自分の書いている「詩」を何かしらの形で世に出すことを考えた。どこかに送ったり、ネット上にUpすることも考えたけど正直あまり乗り気じゃなかったのだと思う。「詩」はあくまでも自己満足だったのだと思う。

中二になる前くらいだったかな?
当時の僕は色んなことから距離を置いて家に閉じこもっていた。今思えば長い期間だったと思う。そんな日々の中である出会いをする。今に繋がる大きな出会いだった。それがEXILEの「もっと強く」という楽曲。


最初は「こんな風に歌ってみたい」だった。
それまで全く興味がなかった音楽というものに触れるようになったきっかけになる。
そこからEXILEの曲を聴く日々が続き、「歌手」になりたいという夢を抱いた。目標ができたことで今まで出ることのなかった外にも出始めて小さい場所で色んな人たちと出会った。そこで出会った人ともいまだに繋がっていて僕の音楽活動を応援してくれている。

初めにキーボードだったかな?作曲をする上で必要だと思い買った。最初から人の曲をコピーするということをしていなかった記憶。今よりも歌うことは好きだったから人の曲をかけながら歌っていたことはあったけど「詩」を書いていたこともあり最初からオリジナル曲を作ってた。もちろん今から考えれば勉強という意味でももっと人の曲に触れるべきだったと思う笑

当時は詞先で作ってた。今よりも何も考えずになんとなくで言葉を並べてたから曲を書くよりも詞を書く方が早かった。こだわりも特になかったから必然的だ。むしろ曲作りの方が苦戦してたかな?やり方もよくわかってなかったし、今思えば詞にメロをつけていくのは難しかったなと。当時作った曲は一番最初に作った曲しか覚えてない。今思ってもありきたりの詞で全く捻りのない曲だった。この作品が後に僕の制作スタイルを大きく変える機会をくれます。時系列に書いているので詳細はこの先に書きます。

気づけば高校生になり
マイクを買ったり少しずつ機材を揃えていき宅録ができるレベルにまで持っていきました。DAWはフリーのものを使っていたので音源もショボかったけどその当時は曲ができていく感じに感動した覚えがある。ミックスのやり方もわからないどころか当時はミックスという言葉も知らなかったんじゃないかな?というレベル。
作った曲をYouTubeに上げてた。リリックビデオにしてたかな。数曲あげた覚えがあるけど最初の曲だけしか記憶にないからどれくらい上げてたかはわからない。

DAWをフリーではあるものの少し質の良いものに変えてから最初に作った曲をリメイクしていつも通りYouTubeにUPした時の話。ある一つのコメントが届いた。

「オリジナル性がない」

実はその頃自分の中でも「ありきたり」な気がしてた。特に詞の部分。なんとなくどこかで聞いたことのあるフレーズを書いているだけのような気がしていた。実際最初の方にも書いた通り書き始めは何も考えてなかったに等しい。

そんなことを思っていた時にそのコメントを読んだのでクリティカルヒットでした。もちろん凹んだのも事実だけどそれよりも自分の詞をしっかり自分にしか書けないものにしなければいけないという想いになりそこから長い長い制作に入ります。ある一曲の詞に一年以上かけてしまいました。がその時期が今の詞の向き合い方の土台になっている気もします。
その曲には「The Warmth」というタイトルがついてます。冬の時期に書いた曲だったサビのメロからできてその時の仮タイトルは「クリスマスは君に会いたい」だった。ド直球のタイトルから「The Warmth」になったのはやはり「ストレート=ありきたり」という僕の中での感覚が当時あったからだと思う。詞を書き直したり曲を書き直したりしているうちに一年が経ってしまった。

最終的に出来上がったのが下記になる。


The Warmth

寒さ凌ぐために繋いだ手
指を糸にして結ぶよう

悲しい過去さえ 今があればいいな
そんなこと思うよ

冷たい人混みの中
君を独りにはしないよ
強く優しく君の手 握って離さない



僕の肩に眠る 静かな君
このまま時が止まる夢みた

優しさだけでは全て埋まらないこと
わかってる それでも

冷たい人混みの中
君の声 聞き逃さないよ
強い風に消されても君の名前呼ぶよ


冷たい人混みの中
君を独りにはしないよ

冷たい人混みの中
君を独りにはしない
二人温もり感じ合い 握った手離さない


君のそばでずっと


 

今読んでみると色々また思うことあるけど当時周りからの評価も高かったこともありかなり自信作だった。
そしてこの曲を皮切りにアルバムの制作を始めることになった。ここからまた色々と変わっていきます。
ここまででだいぶ長くなってしまったかな?
この続きはまた次回書きます。

もう夕食の準備をしなければいけないので。

島崎零矢 2023/04/28

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