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『自分とか、ないから』          もしかして彼はお釈迦様だった②

ライター:福田房枝(サエさん)

面白い本を見つけた
タイトルは、
『自分とか、ないから。』
(教養としての東洋哲学)
  作者、しんめいP

東大を出て、こじらせニートになった、という作者が、3年かけて著作と謳う本。
(こういう時も東大は売りになる⁈のが少し気に入らないが、
表現の面白さだけじゃなく、
74歳空海推しのバーバも、
ガッテン!の一冊)

あ、本の批評をしている場合じゃない。
この本に触発されて?
思い出した、私が体感した、
〝この世の真実〟を書くのだ。
そう、
『〝自分〟とか〝私〟はなかった』
体験。

あれは、もう20年以上も前?

仕事上で、乗っ取りや裏切りを体験し、自分がどこに居るのかさえわからなくなっていた時、
ある人に辿りつき、
その人に、誘導されるがママ、
瞑想🧘‍♀️をした時の事だ。

その時の瞑想を言葉にするのは難しいが、絵に描くと、このように→。

昔の⚖️鎖が付いた、ハカリのようなものに乗せられて、
上の方(空?天国?)から、地上に届けられてきた。
目は半眼、足を組み、🧘座禅をしている。

ハカリの上の人は、多分、〝私〟

半眼の向こう、
はるか遠〜くには、
高い山々が聳え立っている。

ハカリの上の〝私〟は、
ゆっくりゆーっくりの
呼吸を繰り返している🧘‍♀️。

どこくらい、経っただろうか

エッ?
向こうに聳え立っていた山々が、小さくなっているんだけど!?

イヤ⁈
〝私〟が膨らんで大きくなっている?っていうか、山々を見下ろしている、、、。
、、、???。

ゆっくり、ゆっくり
深い呼吸を繰り返すうちに、
身体は何故か徐々に膨張して、
山々よりも大きくなっていた。

しかし、パンッと弾ける!ことはせず、ある一定のところで、
と止まるている。

次に、
私の薄〜い皮膚膜と、隣りの空気とが、行ったり来たりを始める。
(なんと表現したらいいのか難しいが、出入り自由みたいな?😅)

そのうちに、
〝私〟と、周囲の空気との境目?がなくなり、
〝私〟の身体の輪郭が、
消えた、、、。

〝私〟が、無くなった。
    、、、、???

そう、
『私という物体が、解けて?溶けて?混じって?
空気と一体になってしまったよう』
な感じ、になったのだ。
 
以上が、私史上初めての
『自分とか、ないから』
体験。

瞑想後、彼女に話すと、
『すごい体験でしたね』と言われたが、
何が凄いのか、そもそも瞑想とは何なのか、
初心者マーク🔰で、初運転の私は、???状態のまま。

で、この日は、終わった。

その2回後の瞑想🧘‍♀️。

私は、ひろ〜い野原のような所に。
そこは、お花畑なのだろう、
ピンク、白、赤、黄、紫、オレンジと、色とりどりの花🌷💐🌼🪷🪻が、咲き乱れていた。

私は、そのお花畑の花々の間を
『こんにちわ、こんにちわ♪』と、笑顔☺️を振り撒きながら飛んでいる。

花々も、こんにちわ♪の私に、
身体?を揺らして、
応えてくれてる。

そう、今度は、私、
蜂のようだ。

どれくらい飛び回っただろうか?

しばらくすると場面が変わり、
今度は、見たことのないくらい広〜い川の水面に揺られている。

水墨画に出てくるような、
尖った岩の間に流れる、黄河のような(実際には見たことがないが)大河に、小さく、ちっちゃい私?が見える。

私(一寸法師みたい?)は、
小さな葉っぱ🌱で作った、
笹舟のような舟に乗り、
針のような櫓で、ゆるりゆるりと、大河を下っている。

静かだ、とにかく静かだ。
鳥の声も、
波の音も、風の音もしない。

私は、ただただ、
葉っぱ🌱の小舟を、
川の流れに沿って漕ぐのみ。

どのくらい川面を流れただろうか、
また、場面が変わる。

次の私は、地上で
大樹(たぶん、菩提樹)の元に
座っていた。
目を閉じ、座禅🧘をしている。

大きな大きな菩提樹に
ぴったり背中をくっつけて
〝私〟であろう人は、
ただじっと座っていた🧘‍♀️。

幾年月かは.定かではないが。

で、

瞑想から目が覚めた?

  〇〇   👀

エッ、これは何?

この〝体感〟を言葉にすると、陳腐になりそうだか、
無理やり、試みてみる?😅

一回目の
〝空気と混じり合って消えた私〟は、
〝全ては繋がっていて、一つ!〟という、
〝ワンネス〟体感。

そして、私という物体は、本当はないのだよという、
〝無〟の体験。

〝ワンネス〟と〝無〟は、
実は、同じだった⁈
   (私の体感だけど💦。)

コレは、私史上、
理屈なしの感覚‼️

次の
お花畑の蜂。

静寂な大河を流れる
一寸法師⁇の私、

で、最後の
菩提樹の元に座る私、

この3つの場面にぴったりの言葉は?
難しい、出てこない💦😭。

この3つを無理やり
こじつけ的に考えると、
〝コレが人生〟?とか😅💦。

〝人間〟というのは、この世でさまざまな体験をするために、
 物体を纏って産まれてくる。

お花畑を飛び廻っているのが、
→青年期から壮年期?

次に、小舟でゆっくり大河を流れる場面は、
中年期から思索の時代?

最後の、菩提樹の根っこに座っている場面は、お釈迦さまの元に還る準備という事?

とかいう事ではなく、
蜂や、一寸法師は前世で、
今世が、座禅🧘‍♀️で生きろ!という事?

わからなーい!🥲

まあ、無理にこじつける必要もないかな、と。
どなたか、コレらの体験を解釈できる方がいれば、お願いしたい🙏。

20 年も前に体感したことを、
書いてみたくなり、書いた。

『自分とか、ないから』を読んで、ガッテン!!したから。

あの時の私の体感は、

解けて?溶けて?混じりあって?
〝なーんにも無くなっていた〟

そう、

私は〝ワンネス〟で

私は〝無〟。
    
          オワリ

追伸①
で、前回のシュウさんの問いに答えるとすると、
〝なーんにも無かったよ〟
かな。

追伸②
著作のPさんは、何百冊という〝東洋哲学〟の本を読んだ結果、この本を書いたらしい。
が、私は、体感のみで😅💦コレを。

追伸③
瞑想はいろいろな気づきをくれるが、〝期待〟してやると、なーんにも出てこない💦😭。

追伸④
自分は消えたが、もう一人
俯瞰して私を見ているような私も感じた→ハイヤーセルフ?

     オワリのオワリ

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