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おじいちゃんの豆を食べたい

私は両親と祖父母、私、弟の6人家族で育った。
祖父母はそれぞれ私の結婚した年とその翌年に亡くなり
今はもういない。

とはいえ、生まれた時から
私が就職して家を出る21歳まで一緒に暮らしていたのだから
結構長い期間を祖父母と過ごしていたことになる。

ところがどうしたわけか、
祖父母と会話をした記憶がほとんどない。
思い出すのは
祖父母が並んで、黙ってコタツに座っている姿。

一生懸命思い返してみたら
祖父とした会話をふたつだけ思い出した。

ひとつは
祖父が亡くなる数ヶ月前に
入院中の祖父を一人で見舞った時。

すでに実家を出ていた私は
特に祖父に会いたいとは思っていなかったのだが
見舞いには行かなければいけないような気がして
病院に行ったのだ。

見舞いに来た私に、祖父は
「おじいちゃん、夜中に一人で歩いちゃっているらしいんだよ。
でもおじいちゃんは、覚えていないんだよ」
と悲しそうに私に言った。

当時看護師として働いていた私は
「徘徊しちゃっているのか…大変なことになっちゃっているな」
と思った。

けれどそれに対し、私は
「ふーん」としか返事をしなかった。返せなかった。
認知症であったり、徘徊したりする人の気持ちを理解するなんてことは
当時の私にはできなかった。

でもそれ以上に
祖父と何を話していいのかわからなかったのだ。

きっと小さい頃から
私は祖父と必要なこと以外、
あまり話をしなかったのだと思う。

いや、考えてみたら祖父だけでなく
私は祖母にも母にも、ましてや父にも
そんな普通のことを話した覚えがない。

「○○君のことが好きなの♡」
なんて会話になることは有り得なかった。

我が家は非常に会話の少ない家族だったのだ。

もう一つの祖父との会話で思い出したのは
節分の日の会話だ。
まだ小学校低学年のことだったと思う。

「年の数の豆を食べる」ために
コタツに入って「自分の年の数の大豆」を数え、食べていた。
小学生の「年の数の豆」の数なんて、たかが知れている。
あっという間に食べ終わってしまった。

私は、隣に座っていた祖父にも
祖父の「年の数の大豆」を数えて渡した。
すると祖父は
「おじいちゃん、そんなに食べられないよ」
と笑って言った。

小さかった私は
「おじいちゃんは豆をいっぱい食べられていいな」
と思っていたので
「食べられない」
という言葉に驚いた。
「なんでこんなに美味しいものを食べないのだろう」
と不思議に思った。

今、40代半ばになり
その時の祖父の言葉が理解できる。

炒っただけの大豆を
なんの味もついていない状態で
60や70個も食べられない。
口もパサパサする。
お腹もいっぱいになる。

来年の健康を願うために食べるものを
わざわざ無理をして食べて
調子が悪くなるのもねえ、と。

でも小さかった私は
「おじいちゃんはいっぱい食べられていいな」
と思っていたので
不思議そうに祖父の顔を見上げていたに違いない。

なんでこんな、嬉しかったことでも悲しかったことでもない
日常の一片の記憶が蘇ってきたのかはわからない。
それでも、たった二つしか思い出せない、
私と祖父との思い出の一つだ。

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