鮭として、生きて、死ぬ

 幼馴染のメス鮭が水底に産室を掘る。それを他鮭事のように眺めていた。彼女の美しい靭やかな尾鰭は水底の石を跳ね飛ばし、自らを傷つけながら、こどもたちのために清らかな水の流れる安全な場所を作り出していた。卵を産み付けるための場所。我々が鮭として産まれてきた場所。

 太古から繰り返されてきた鮭としての営みを、鮭としての義務と権利を、我々は果たそうとしていた。

 婚姻色に鱗を染めて、彼女が俺を隣に招く。
「来て」、と。
甘い声で。
はしたない声で。
淫らな声で。
オスとメスの本能を満たす、繁殖の行為のために。

 他のオスとの戦いと、川の遡上に傷ついた身体を彼女に寄り添わせた。彼女の鱗もまた、いくつも剥げて血が流れていた。そして、その姿が何よりも美しく、力強く、愛おしく、繁殖の相手として相応しいと思えた。

 鮭としての全てはこの時のためにある。二匹で口を開き、吼えて、生ける者としての務めを、メスの産卵したイクラに白子の放出を果たした。

 僅か数秒、鮭の交尾の時間は短い。オスもメスもその腹を空にするまで、相手を何度か取り替えることになる。一通り事が済むとお互いに関心を失ったように別れた。

さようなら。
また、いつか、どこかでめぐり逢えたら。

 それは二度と無いことを知っていながら、再会を願わずにはいられない。一時とはいえ、鮭としてのすべてを共にした相手だから、別れた後も幸せを願わずにはいられない。孵化したあとのこどもたちにも。どうか鳥に食べられませんように。他の魚に捕食されませんように。無事に海に辿り着きますように。

 二匹の匂いが残る産室を目の端に留め、尾鰭を翻して立ち去ると、そこにはまた別の鮭のメスがいた。傷だらけの小柄な体躯の鮭は、必死に川を遡上してきたのだろう。その生命の光は、今にも尽きかけているように見えた。肉体の限界を超えて繁殖本能に駆られる無垢な鮭の魂に、その鮮やかな婚姻色の鱗に、二度目の恋に落ちた。

 産卵を終えた鮭は全て死ぬ。オスもメスも例外なくその定めから逃れることはできない。傷ついた鰓と鱗の痛みが、何より白子を放出してからっぽになった腹の空虚な軽さが、鮭としての旅の終わりを物語っていた。

 いい鮭生だった。川を下って海に出た。鳥に何度も襲われそうになって逃げた。オホーツクの海で美しいロシア鮭の娘に恋をした。ベーリング海で蟹と戯れた。尾びれは大きく、強く、逞しくなった。人間に捕まることなく、産まれた川に戻って来られた。

 鮭の運命は産まれた時から定められており、仲間にはトキシラズとして運命に抗う物もいたけれど、俺は定めを逍遥と受け入れることが誇りであった。

よく生きた。満足であった。

 俺は、鮭として産まれ、刺身でも寿司でもマリネでもなく、鮭として死ぬことができる。神に抗う必要など、どこにもなかった。…少し、眠ろう。

 空になった腹が力なく横になる。鰓がぷかりと水面に浮いた。水の中からではなく、初めてそこから出て鱗に受ける陽の光は、暖かだった。

 初めて見る。これが、「そら」か。

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