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「差別意識は自分にもあった…」Aro/Aceマンガを読んで認められた"否定していた感情"

この記事 からの続きです

コミティア144火丁(あかり)さんの既刊本3冊(新刊本は完売!)を手に入れました。


買って読もうとしたら…

早速読んでみようと東京ビックサイト内のスタバで、本をテーブルに広げてみたのですが、「恋愛もセックスもしたくない人がいるんです」というタイトルがデカデカと書かれていて、思ったより周囲の目が気になります。

思ったより周囲の目が気になる。アンソロ(一番左)に同封されている、しおり帯がとてもよき…!

周囲は周囲で、国内外の老若男女が美少女とか百合だとかBLだとか思い思いの作品を手に、談義に花を咲かせていました。なので、自分に向かって「何コイツ?」って思うこともないと思うのですが、「セックス」とタイトルに割と大きめに入っているのもあってか、どうしても周りの目が気になり、本の題材的にも内面の精神性を周囲に明かしているような感じがして、あまり時間をかけず離席、一路自宅へと向かいました。(ミルクコーヒーラテは美味しくいただきました)

甘くておいしい(写真は本文とあまり関係ありません)

この体験、私も!

一度読み始めると一気に読破。「あ、この体験、自分もしたことある!」と共感するところが多かったです。そしてアンソロジーには「あの人も!?」という方も参加していたりして、見どころたくさんでした。

個人的に読みながら驚いたのは、
先ほど触れた「共感」だけでなく、もやもやしたままだった自分(れいすいき)の過去の経験が作品を通して改めて想起させられ、自分の記憶の中から浮かび上がってくるという得難い体験ができたということ。どういうことか、以下印象的なエピソードとともに説明していきます。

差別意識の内面化に向き合う

2作目「続〜」の「私って最低だ…」という4コマエピソードには、理解に苦しむ相手に対して「そんなんだから結婚できないのでは?」と内心で思ってしまうというシーンがあります。

その後のあかりさんの心情描写とコマの使い方がすごく良いんです。周囲からの“差別意識”が自身に内面化していることが、頭を巡り心に刺さるようになっていて、こんな表現の仕方があるんだと思わされました。(これ以上言うと、ネタバレになりそうなので買って読んでください)

このシーンで思い出したのは、自分の差別意識です。

自分も昔は「そんなんだから結婚できない」という考えを自分自身に、そしておそらく他人にも向けていました。

少し認識が変わったのは、おそらくNHK連続テレビ小説『ちりとてちん』。作中に住所不定な叔父さんが登場するのですが、その人の生き方を知ったときに結婚して家庭持つのが全てじゃないよなと思い、中学からは結婚/非婚をあまり意識しなくなりました。

ただ、結婚以外のテーマで、それでも「そんなんだから離婚しちゃうんだよ」とか「そんなんだからダメなんだよ」とか、声には出しませんが、人を見下すような感情をこっそり抱いてしまう場面はたしかにあったと思います。認めたくないし、なかったと思いたいけど、たしかにありました。

否定したい感情

そう考えてしまった直後に「ダメダメ、そんなこと考えていない」と消去していたはずの記憶。このエピソードを読みながら、思わずそんな記憶がよみがえり、「自分だけではなかったんだ」と、不思議とどこか救われる気持ちになりました。

アロマンティック、アセクシャルなどマイノリティーで“いる”と、周囲からの決めつけによく直面し、苦しんだりします。

例えば、アロマンティックとして恋愛をしたいと思わないのに、「いい人に出会ってないだけ」と会話相手から断定されちゃったりします。

そうやって理解できないものに対して、自分の理解できる範囲で論じてしまう人が一定数います。

それに対して、「あー嫌だ嫌だ」と思っていたのに、恐ろしいことに自分の中にも理解できないものに対して、決めつける感情が確かにあった。自分自身が目を背けていた否定したい感情に、この鮮やかな4コマで気付かされる思いでした。

伝える力と包容力

最近読んだ本でコミックエッセイは言語化できない複雑な感情、違和感を伝えることができると記されていました(この本↓)。

あかりさんの作品でまさにその通りの体験をして、文章だけでは読者を突き放してしまいそうなこういったテーマも投げかけながら包み込んでくれる、コミックエッセイの伝える力と包容力を感じました。

電子版もあるそうです↓


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