同世代の友達が結婚しても「ふーん」(寂しさ)だったが、選挙で当選した友達には「うーん……」(危機感)だった
友達が当選した。
宝くじではなく、選挙に。
正確に言うと、ある自治体の地方議員になった。
20代の頃、よく遊んだ友達だったので、めでたい。めでたいことではあるのだけど、なんだろう、この胸の疼きは、ざわめきは……、これって恋……?
いや、恋ではない。恋ではないんだが、どことなく切ないこの感じは、友達から結婚したと報告を受けたときの感じにも似ている。
そう気づいてから記憶の再点検をするまで時間はかからなかったーー。
・自己紹介タイム
ところでお前誰やねん、ということで、自己紹介をしていきます。以降の文章を読み進めるに当たって、読者からすると、ちょっと変わった人間かもしれないので、先に説明したほうが良さそうと思った次第です。
私、れいすいきと申します。
他人に対して恋愛感情を抱くこともなければ、性的に惹かれたなーという経験もない、そんな人生を歩んできました。
性別は男で、つい最近30代に突入。男性にも女性にも恋愛的な感情で「好き」と思ったことはありません。
そんな私はアセクシャル(Aセクシャル、ace)で、アロマンティック(Aロマンティック、aro)のスペクトラム上に位置していると自分自身を定義しています。(今まで恋をしたことがない、恋愛感情が薄いグレーAロマなのかなとも思ったりしますが、詳細は割愛します)
・同世代の結婚を知ったとき
最初に同世代の結婚を聞いたのは、高校の同級生の女の子からだったと思う。
最初に浮かんだのは寂しいという感情だった。この寂しく思う感情って、もしかしてこれが恋なのか?と思ったけど、学生時代に特に接点も好意もなかった彼女に対する感情として、どこか違和感があった。
そのうちの同級生の男の子の結婚も聞こえてくる。その一報にも浮かんだ感情は同じだった。寂しい。自分は男性にも恋をするのか。
そんな納得の仕方をするでもなく、まっ先に思い浮かんだのは、仲間が減ったという感覚だった。
今まで独身仲間という同質なサークルの中にいると思っていた友たちとの間に、結婚やパートナーができました、と線が引かれていく。それに対して、自分もその一線を超えたいとか、誰かと一緒に超えたいとかではなく、その場所から動かず、線の向こう側へ行く彼らをただ見ていた。自分の足は動かなかった。動かそうともしなかった気がする。
だから、こっち側にいた人がいなくなったという喪失感だけが自分に残っていた。
そう考えていくと、仲間がひとりいなくなったことへの喪失感が寂しさの正体だったのでは? そう言葉にすると、ストンと自分の感情を言語化できた感覚があった。
・同世代の当選を知ったとき
選挙に当選したというニュースを見たときも、
この喪失感らしきものに襲われた。自分は議員になりたいわけでない。前述の結婚と同様だ。
結婚したいわけではなくて、羨ましさはないけど、喪失感からくる寂しさに襲われていた。
でも今回の選挙に当選というのは、何かそれ以上のものに襲われている。それは何か。
危機感だ。
結婚や誰かと付き合ったという最新情報は、あくまで誰と一緒か、というその人に付属するもの(ひと)の話だった。
だから、「えー!そうなんですか!」とか表面上は驚いたり喜んだりして見せても、心のなかでは「ふーん、また一人いなくなったか」くらいにしか思ってなかった。「ところで自分は?」と比較したり、自分のことに思いを致すこともなかった。
だが、選挙に受かった友達を見たときに、矢印は確実に自分の方に向いた。
「生涯をかけるであろう仕事についた友達。一方、自分はこれから何をやっていくんだろう」
思えば、友達の結婚よりも、転職したことにより心が動かされ、話を聞こうとする人間だった、自分は。
だから、「パートナーと」ではなく、「あなた自身はどう生きる?」という問いには、寂しさ以上の危機感に襲われている。
うーん……どうしよう。
個人的には、
ひとりで生きていくか、誰かと生きていくか、それはあまり問題ではない。
ひとりの人間としてどう生きていくか? それこそが問題だ……
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