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十代、本の記憶

いつも傍に本があった。

物心つく頃から、自分を取り囲む世界と、自分とのあいだに違和感を覚えていた。

愛情深い母がおり、経済的にもそこそこ恵まれてはいたものの、他所と比較すればエキセントリックな家庭だったことが、それに拍車をかけた。

よくある話かもしれない。
しかし、年端も行かない子供が知るには、酷なことが多すぎたのだ。
耳を両手で塞いで逃げ込む先は、本のなかだった。

最も多く本に触れたのは中学・高校の六年間。その頃の、本に関する想い出を書き出してみる。

中一の夏休み、課題図書に「赤毛のアン」が選定された。母曰く「翻訳ものにありがちな、文章の回りくどさが受けつけない」だったが(村岡花子に失礼である)あの、やや装飾過多な文体が、13歳を夢想させるに一役も二役も買ったのだ。
心の逃避先として、プリンス・エドワード島はうってつけであった。練馬区在住(当時)の中学生はたちまちカナダの島の住人となり、二週間のうちにシリーズ11冊を読了した。

次の逃避先は、時代を越えてみることにした。
池波正太郎(剣客商売、藤枝梅安)や平岩弓枝(御宿かわせみ、はやぶさ新八)のシリーズ物である。

赤毛のアン(少女向け)からいきなりの180度方針転換であるが、この路線はしばらく固定化される。
それには理由があった。当時、自分の書棚に相応しくないと思った本を大量に古本屋に持ち込んだ。小学生の頃読んだ、コバルト文庫や集英社X文庫、所謂ティーンズノベルというものである。

店主は、少女漫画と見紛う表紙の本ばかりであることに気付くと、嘲りを含んだ口調で言った。
「あのね、お嬢ちゃん、こういうのは売れないんだよ…」
今なら店主の気持ちがわかる。こういった本を手に取る層は、そもそも古本屋に足を運ばない。
しかし、ティーンズノベルしか読まない小娘と思われたくない一心で私はこう返した。
「松本清張だったら売れますよね」

瓢箪から駒、清張漬けの日々が始まった。
それまで本に求める役割は、心を気持ちよく泳がせてくれることのみであった。
それに、自意識が加わったのだ。その本を手に取る自分は、ひとの目にどのように映るか?
きっかけは不純であったものの、早い時期に清張作品の面白さを知ることができたのは、大きなしあわせだったと思う。

中三、沢木耕太郎と出会う。
西武系列の書店、リブロで平積みにされていた深夜特急に目が留まった。
カッサンドルデザインのポスターを用いた表紙が心を掴んだ。CDでいうジャケ買いである。
学校で現国の教師に勧めたところ、こちらが恐縮するくらいにお礼を言われたことを覚えている。「こんな面白い本を見つけてくるなんて!」
今でこそ知らぬ人のない作品だが、あの頃は文庫化されたばかりだった。

深夜特急を読み終えてからも、沢木耕太郎の作品を手に取り続けた。ノンフィクションの面白さに目覚めたのだ。

━━本との出会いを書き続けていたらきりがないので、この辺りで、忘れられないタイトルを挙げたい。

「心臓を貫かれて」マイケル・ギルモア 村上春樹訳
「テロルの決算」沢木耕太郎
「砂の器」松本清張

狙って選んだわけではないが、どれも犯罪をベースにしている。
好きな本、面白かった本は数多ある。だが心に爪痕を残したのは、この三作品を置いて他にない。

三作品に通底するのは、抗えないこと、業を描いている点にあると思う。少女であった私は、いつも本に逃避先としての世界観を提供してくれることを求めていた。
しかしこれら作品は、逃げ込む先としては、昏く、重た過ぎる。エンターテイメント、あるいは好奇心を満たすという類のものでもない。

ではなぜか━━共鳴した、の一言に尽きる。
自分が抱え続けてきた得体の知れない恐れ、蓋をしてきたもの。それがこの三冊によって、かたちを帯びて浮かび上がってきたのである。

それはつらい体験であった。
足をすくませた。しかし、救いもまた本がもたらしてくれた。村上春樹だ。

村上作品は、喪失と、受容をテーマにしている。
特に好きな作品は「羊をめぐる冒険」と「ダンス・ダンス・ダンス」だ。生き辛さを抱える主人公の前に、案内人として「羊男」が現れる。
私のもとにも、羊男がやってきた。

「音楽の鳴っている間はとにかく躍り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。躍り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考え出したら足が止まる」━「ダンス・ダンス・ダンス」より

損なわれても、失っても、躍り続ける。
うまくステップを踏めなくても、私はわたしの人生を、生きる。
もう、本は逃避先ではなくなった。

あれから、20数年の月日が流れた。
途中、転ぶことも幾度かあった。プレーヤーの針を自ら止めようとしたことすらあった。
しかし、まだ、音楽は鳴り止んでいない。

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