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20230208 我が家歴代の猫たち

一匹目:露子

外猫から内猫になった頃の4キロくらいあった元気印の露子

一匹目
 名前は露子。
 私にとって初めて本気で付き合った猫。そして永遠の猫だ。
 もう20年以上前、当時、私はじめじめとして虫が多く、冬は床が氷のように冷たい、半地下のマンションの一階の部屋に住んでいた。
 そのマンションの一階のバルコニーに、「梅雨」のある日、突然五匹の子猫を連れて現れたのが露子だった。
 露子はその時、
「前に世話になったわね。あんた猫バカでしょ? ちゃんと分かってるのよ。今、この通り子供が五匹もいてさ。お腹空いてるのよ」
 と、窓を開けた私の手が届くところにちんまり座って言ったのだった。
 彼女は無口な猫だったので、ニャンとも言ったわけではない。目だけで「通じた」のである。

二度目にバルコニーに現れた露子。36万画素のデジカメの時代だったので荒い画像でご容赦。


 そう、露子は人間の言葉が分かるというか、「空気を読む」、「察する」ことの出来る、「なんでも通じる」猫だった。そういう能力があったから野良猫を何年やっても生き残って、何度も出産していたのだと思う。
 喧嘩も強かった。下に書くが眉間から血を流しながら帰宅したこともあった。それでも猫エイズも猫白血病も陰性だった。

 実はその時、露子と会うのは二度目だった。
 露子が言った、「前に世話になったわね」というのは、それ以前にマンション共有部分で、私のうちからしか入れないところに落ちてしまい、一晩助けを求めて鳴いていたのを助けてやったことなのだった。
 初対面のその時から、露子は黙って抱っこをさせてくれたので、すぐに助け出すことが出来たのだった。
 さて。
 「お腹が空いているのよ」
 とやってきた露子は、まだ乳飲み子の子猫をエアコンの室外機の裏に隠し、自分は小皿に盛った水煮のツナ缶をもらって、
「ありがとう。助かったわ」
 と言って去って行ってしまった。子猫もいつの間にか運び去られていた。

子猫たち。36万画素の時代なので……可愛さは伝わるかな。

 三度目に露子が来たのは、前の子猫は育て終わったらしい、8月の頭だった。
 目で見てすぐに分かるほど、お腹が大きかった。今度は、
「あんた、猫バカでしょ? またお腹大きくなっちゃったけど、今度はあんたのうちで過ごすことにしたよ」
 と言って、その日からバルコニーの軒下に住み込んでしまった。
 何日経っても居るので、この時から私はキャットフードを購入して、朝晩、用意するようになった。
 8月28日の夕方から、8月30日の朝まで彼女は帰ってこなかった。
 帰ってきた時、露子のお尻は血で真っ赤で、お腹はぺったんこになっていた。
「産んだわ〜。子猫には後で会わせてあげる。それよりお腹空いたからご飯ちょうだい」
 8月29日に生まれた、この時の子猫の中の一匹が、私の二匹目の猫、ふうさんだった。
 紆余曲折あって、子猫たちは近所の猫好きおばさんたちに引き取られていった。
 近所の人のカンパもあって、避妊手術を受けさせた露子は痛い目に遭わされたのに嫌がる風もなく、そのまま2年近くもバルコニーのエアコン室外機の上に作ってやったダンボールハウスに住んでいた。
 蚤取りのフロントラインをしてやり、朝晩の御飯はうちで用意した。
 露子は昼間は出かけることもあったが、ちゃんと毎晩、律儀にダンボールハウスに帰宅していた。夏はまだしも冬は寒そうなので、ダンボールハウスの寝床の下にホッカイロを入れてやった。
 それでも眉間に傷を負って血を流して帰ってきたり、だんだん歳をとって来たので家に入れた。寡黙で物分かりのいい露子は一日で完璧な家猫になってしまった。

腎不全がかなり進んでからの露子。それでも女王様みたい。

 生まれてからそれまでずっと外にいて、大野良のはずの露子は「一度言えばなんでも分かる猫」だった。
 テーブルに乗るな、台所に入るな、爪研ぎ以外で爪研ぎするな……なんでも一度言えば二度としなかった。
 賢すぎて、私は「人の心を読める猫」だと思っていた。その後飼った猫三匹と比べても、雌であることだけでは説明できない物分かりの良さがあり、順応力や胆力、母猫らしい度胸もあった。東日本大震災の時も、偶然に仕事を早退して帰っていた私と、息子猫のふうさんが右往左往している中、寝室のベッドの上で眠ったまま起きもしなかった。後で考えたらベッドの上には落ちてくるものがなく、一番安全な場所だった。
 露子は動物病院に連れて行っても、入院させてもまるで動じなかった。通常運転でどこでも普通にしていられるのだ。獣医さんも驚いて、「こんなしらーっとした猫は見たことがない」と言っていた。
 軒下時代には、ウチ以外にも「猫バカ」な別宅でご飯をもらっていたようで、避妊してからは福々と太っていたっけ。

腎不全が進んで、痩せてしまった露子。それでもお茶目な仕草は変わらなかった。
旅立つ数日前の露子。最後まで真っ直ぐで強い意志を感じさせる、だが優しい猫だった。

 露子はウチに来て11年目に三年間患った腎不全で旅立った。最後の半年で100回以上、自宅で皮下輸液をしたが、私一人で保定もせずに行っていた。嫌がっているのは顔に出ていたが、私が「やらないと死んじゃう」「死んじゃ嫌だ」と必死で思っているのが分かっていたのだろう。
「あんたがしたいようにおし。あたしも頑張るよ」
 まるでそう言っているようだった。
 他にも逸話はいくらでもある。それくらい露子はとにかくすごい猫だった。あんな猫にはもう出逢えないだろう。
 こうやって露子を思い出しながら文を綴っていると、今でも涙が噴き出てくる。露子に会いたいと。
 露子は本当の母親からは母性を感じられなかった私の「心のお母さん」的な存在になっていたのだ。

二匹目:ふう

2歳くらいの時のふうさん。目の色がまだ琥珀色だった。この後、檸檬色に変わった。

二匹目
 名前は「ふう」。露子の息子である。
 彼は上記のように誕生日もわかっている猫で、私と一緒に18年4か月生きた。
 アメショーが入っているようで、茶色の斑の中の縞々が太く、手足の長い猫の血も入っているようで、体と手足、尻尾がニョロニョロと長かった。顔はイケメンで、若い頃はまんまるな目がくりくりと大きくてとても可愛かった。
 そして、ツヤッツヤでサラッサラの柔らかい毛皮は、ウチに来た四匹の猫の中でもダントツの手触りだった。

いつもそばにいた母子

 彼は母の露子が大好きだった。露子が家に入ってからは、いつもそばにいたがった。露子の方は「大きな体して。うざったいわねえ」という態度だったが、彼はへこたれずににじり寄っていた。
 ふうは露子ほど賢く(心が読める)はなかったが、一度言われたことはすぐ理解する猫だった。今考えると、それは母猫の露子がそばにいて、露子を見て育ったからだろう。
 ふうは同腹の五匹兄弟の中で、なぜか一匹だけひとまわり体が大きかった。猫の雌は複数の雄猫の子供を同時に妊娠できるそうだから、彼だけ父猫が違っていたのかもしれない。そして、生後2か月になる頃、一匹だけ猫風邪にやられてしまい、露子はそんな彼から他の兄弟を隔離するため、野生の本能で彼を手元から追い出した。
 ある日、子猫が四匹になっていることに気が付き、私はその頃、野良猫がたくさんいた裏通りの方へ回って探してみた。
 すると、ふうは大人猫に混ざって、鼻水を垂らし、くしゃみを繰り返しながら道端に座り込んでいた。
 私は背負っていたリュックに入れて保護するべく、ふうの前にカリカリを出してみた。するとふうは素直にカリカリを食べ始め、そして背中の皮を摘まれて、暴れることもなく、簡単にリュックに放り込まれた。

目の色が檸檬色に変わったふうさん

 今、ふうとは正反対の性格のリリと付き合っていると信じられないが、露子にもふうにも、引っ掻かれたことはなかった。
 シャーッとかフーッとか、唸るとかもしなかった。
 露子は噛んだこともなかった。ふうに噛まれたのも、家に連れ込まれて猫風邪の薬を飲み込まされた最初の時と、老衰で旅立つ寸前の苦しい息の中での2回だけだった。
 ふうは道端から拐われて来てすぐに私に慣れ、家中に「へぶしっ!」とくしゃみを引っ掛けながら大人猫になり、11歳で母の露子と別れたのちも、18歳4か月で老衰で死ぬまで私と一緒にいてくれた。
 美しくて優しい、そして気は弱いが母猫と同じく「人の心を読む猫」だった。

旅立つ半年くらい前の写真。これを見ると「ブレードランナー」でルドガー・ハウアーが演じたレプリカントが旅立つシーンを思い出す。


 もうすっかり弱って死ぬ数日前、彼は真夜中にふと目覚めた私の枕元に座って、じっと私を丸い、檸檬色の目で見ていた。
 確かにふうは自分が私と離れていなくなることを理解していたと思う。
 最後の一週間は、出勤の準備をする私のそばを、痩せ細った体でウロウロして離れ難い様子だった。
 いなくなる十日ほど前からはもう、大好物の鰹節さえも喉を通らなくなっていた。
 色が細くて自分からはあまり食べようとしなくなってしまったため、旅立つ半年以上前から、高栄養の粉状の療法食をお湯で溶いたものをシリンジで飲ませていたが、それだけは飲んでくれていた。

 まさか数日後に旅立ってしまうとは思っていなかった私は、彼が居なくなってから何度も泣いた。
 寂しかったのだろう。一人で居たくなかったのだろう。一緒にいて欲しかったのだろう。
 ふうが旅立ってから、何度もあの光景を思い出しては泣けてくる。今思い起こすと、あの頃は一番仕事が忙しかった時期だったが、どうしてもっと一緒に居てやらなかったのかと。
 最期のとき、夜中にふっと目が覚めて彼の最期を見とれたのも、ふうさんが起こしてくれたからに違いなかった。
 一人で寂しく死なせなかったことだけが、今の心の慰めである。

三匹目:パコ

露子にちょっと似た顔かも。

三匹目
 名前はパコ。
 パコはスペイン語でフランシスコの愛称である。フルネームはウェービー・カール・フランシスコ(パコ)・デ・久米島、という。猫カフェmfmfさんからやってきた久米島出身の猫である。
 ウェービーは久米島での名前、カールは猫カフェmfmfさんでの名前で、どちらも毛の一部がくるくるしていたからだそうだ。
 うちでパコと名付けたのは、長い名前にしてもどうせ短縮形で呼ぶようになると分かっていたからだ。
 露子は「つゆ」、「ママちゃん」などと呼んでいたし、ふうも「ふー」、「ぷぅちゃん」、「ふ」、最期の頃は「お爺ちゃん」と呼んでいたから。お爺ちゃん呼びは、スペイン語圏に住んでいた時、下宿先の奥さんが、かなり年上の旦那さんを「ビエホ(お爺ちゃん)」と呼んでいたのを覚えていた事もある。

 ふうさんが旅立って、寂しくて死にそうだった時、私はネットの里猫ページで白茶ぶちの猫の写真を見ては泣きながら方々のページを彷徨っていた。ふと訪れた「ペットのおうち」の彼の写真が目を離れず、猫カフェmfmfさんを訪れたのである。
 パコは他の同時期にやって来た子猫と一緒にいた。ちょっと噛み癖がある、おやつを見せると唸る、と聞いていた通り、おやつを出すといの一番に飛んできて、指ごと食いついて来た。でも、その噛み方はもう加減を知っている猫のものだと思った。後で聞いた話だと、mfmfさんにいた時はあまり甘えっ子ではなかったそうだ。兄弟(姉妹がいたそうだ)の中で最後まで残っていたので、多分、そんなに人に甘える感じの子猫ではなかったのだろう。

猫カフェmfmfさんで会った時のパコ。当時はカール。

 そして、ふうさんのいない寂しさで少々、頭がおかしかった私は、すぐにパコを引き取ることにしたのだった。
 動機不純である。
 来てすぐは食欲魔獣でやや荒ぶる子猫? だったパコも、大人猫になるにつれ体と一緒に性格も丸くなり、遂には毎日添い寝してくるデレデレ猫となった。ふうさんでさえ布団の中に入るのは嫌がったが、彼はモグラのように布団の中を潜り進む。
 真冬でも長時間、パコが入っているとパコも私も暑くなり、
「ぷはーっ」
 と、布団を剥いで涼むくらいあったかいのである。

低いキャットタワーの上、「牢名主ポジション」がパコの定位置

 私の仕事中は、zoomの授業で私の背後に映ったまま寝ていた。毎日、決まって授業が終わる10分前くらいになると目を開けてキリッとカメラに向き合ってくるので、学生に「先生、猫ちゃんが起きたから、そろそろ終わりにしましょう」と言われるくらいだった。
 こうしてパコは「パコ」というラテン系の名前に負けない「熱くるしい猫」へと成長した。
 言葉も通じるようになり、困るのはどうしてもゴミ漁りをやってしまうことだけだ。これはゴミをしっかりと格納することで対処している。

 パコは子猫の時はクリーム色っぽい茶色と白のぶち猫だったが、大人になったら露子やふうさんと同じような色になった。ちょうど、ウチのフローリングの茶色とも同じ色である。
「うちの色に合わせなくてもいいのに(律儀なヤツ)」
 と私は思った。
 色が濃くなったら、ふうさんと同じように鼻の下に「ちょび髭模様」が出現したのにはちょっとびっくりした。
 顔はキツネ顔で、体は後ろから見ると、背中の茶色、巻いた鍵尻尾もあってコーギーにしか見えない。体型は猫よりもタヌキ寄りだ。今は約5キロまで減量したが、一時期は6キロを超えていた。なのでTwitterではブタヌキツネコなどと呼んでいた。
 ふうさんと比べると胴の長さは同じように長いが、毛が半長毛で尻尾ふさふさ、手足は短くまあるい形。
 リリが来てからは「お母さんがわりのお兄ちゃん」として、すぐにリリが懐いた。
 パコは後述するリリと同じく、抱っこは好きではない。でも抱っこしても暴れることはなく、膝に乗せて撫でているとグルグル言って甘えてくる。
 抱っこしてキャリーに入れて通院するのも大声で嫌がるが爪や歯は出てこないので、彼はこのままでいいと思っている。

四匹目:リリ

ふくふくと小柄でかわいらしいリリ。だがその正体は……。

四匹目
 名前はリリ。
 パコと同じく猫カフェmfmfさんから来た猫で、久米島出身でフルネームはロックフォール(ロック)・オ(ッ)ド・リリエンスール・デ・久米島という。mfmfさんではやって来た猫のグループごとにシリーズ名? を付けており、彼のグループはチーズだったのである。だが、お店ではオッドアイからオッドくんと呼ばれていたらしい。
 オドというのはモンゴル語では「星」のことで、人名にもよく使われている。
 私の学生さんでは「オドザヤさん(女子)」、「ムンフオドさん(男子)」という名前の人がいた。
 リリエンスールは佐藤史生さんのまんがに出てくる、火星の王国の宰相さんの名前である。こちらは別にオッドアイのキャラクターじゃないんだけど、私の書いている超長編小説「女大公カイエン」にリリエンスールというオッドアイの女の子が出てくるのである。
 「凛々しい」のりりも掛けてこんな名前にした。
 右目が青、左目がカーキ色のオッドアイの猫である。
 この子はそれまでの三匹とは勝手が違う猫で、いまだに手こずっている。2年目のワクチン接種につれて行く時には噛まれて大騒動になったほどだ。記事にしたので呼んでみていただきたい。

よく見るとかわいい顔してるんだけど……

 三匹目のパコまでは「察する系」「空気を読む系」「一回言えば通じる系」の猫だったのだが、リリは「唯我独尊」「自己主張最強」「人の話は聞かない」系のツンツン野郎である。まあ、こっちの方が猫らしい猫なのだろう。
 今までの三匹が猫っぽくなかったのである。
 リリはmfmfさんにいた頃から、体を持ち上げようとすると噛む猫だったそうで、用があるときはタオルで包んで掴んでいると聞いていた。
 その上、子猫の時にうちに来てから、猫風邪と猫カビに罹患してしまった。仕方なくしばらくケージ住みの上、一日に何度も投薬や目薬、シャンプーなどで抑え込まれていたのもあってか、触られたり、掴まれたり、抱っこされたりが苦手な猫になってしまった。
 うちに来てすぐはお膝に抱っこが出来ていたのだが、今は5秒間持ち上げるのがやっとだ。
 子猫の時のパコは犬のように唸ることがあったが、リリの場合は大人になっても嫌なことや怖いことがあるとすぐに唸って威嚇する。ビビってイキるヤンキーそのものである。多分、すごく怖がりなのだろうが、扱いには手こずる猫だ。

 そんなリリだが、彼はうちに来てすぐから、パコには絶対のリスペクトをしている。うちに来た翌日にご対面したが、その時は完全にパコをお母さんと思っていたようだ。お尻を向けて迫ってくるリリに、パコの方がビビっていた。

仲良し猫団子な二匹。
まるで母子のようにパコはリリを可愛がっている。

 今でもリリはパコには尻尾直角で完全リスペクトである。
 私のことはご飯とトイレ掃除担当のオバサンだと思い込んでいるようで悲しい。まあ、リスペクトしていないオバサンではあっても、触らせないこと以外には特に問題行動はしないのでそこは偉い。
 彼には前の三匹とは違うアプローチを気長に続けるしかないようだ。
 少なくともイヤイヤでも抱っこ出来るようにはなってほしいと思っている。

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