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根拠のないものを信じる時、人はそれを魂と呼ぶ ーー剣持刀也『虚空教典』を読んで





にじさんじのバーチャルユーチューバー、剣持刀也の『虚空教典』を読んで、なぜか記事を書きたくなった。
でも不思議なことに、ペンを今こうして持ってみるとまったく書くことがなかったことに気がついた。

ほかの方が感想で書いているように、確かに語彙力とご本人に来たお悩み相談にズバッと答えているその思考の切れ味は、まさに千年伝来の刀鍛冶が研ぎに研いだ日本刀のごときSharpnessである。
しかし一方で、この本を読んでいてなんかこの本ですらも剣持刀也はエンタメを私たちに繰り出しているような気がしてならなかったのだ。

剣持の母親である、月ノ美兎が落とした『月ノさんのノート』は物事を説明するときに、「自分の体験したこと、感じたこと」から始まっている。そして、その体験に対して演出を凝らしながら「君もわかるよね!ねえわかるよねえ!」と無邪気に超絶ごり押ししてくるのが魅力だ。

しかし、剣持は狡猾でやさしくない。

確かに話題の最初は自分の感覚や体験から始まっているのだが、途中からいつの間にか切れ味するどい「バーチャルとは何か」や「媚びを売るとは何か」「マシュマロとは何か」「ネガティヴとは何か」という概念と理論の話が始まっている。主役を自分自身の感覚に置くよりも、概念やエピソード側を豊かに描写することを徹底している。故に、彼の文章には、一つの事象の説明に対して多くの例が用いられ、並列されている。
マシュマロに対して突っ込みをキメまくった経験と、ロリを称揚するために培われた言語能力だろうか。

ただ、不思議な事に、剣持の本を読んだ後、何故かこの本が印象に残ったという感覚がなかった。印象の代わりに、心の中に妙な吹き通しの良さだけが残るのだ。
月ノ美兎のノートからは「こうとしか生きるしかなかった」傷だらけの人の姿が見えるのに対して、剣持のノートは読んだ後に「僕はこう生きる」とつぶやいてふっと幽霊のように消える彼を幻視した気持ちになった。



原点にかえれ ーー虚空教唯一の教え?


『虚空教典』では、父や仲間のVtuber達に対談する本作では、珍しく難しい理論的なことを考えている剣持の姿を見ることができる。
しかし、彼がインターネットやVtuber活動の意味について考えてみたり、ほかの人の相談をするときに行っていることは、本当にシンプルなひとつの公理である。虚空教典が、伝えた唯一の教え。
それはおそらく「原点にかえれ」である。
それは、同じことを繰り返して、ノスタルジーに浸ることではない。
例えば、2019年に彼自身が大好きだったクリエイターとして、趣味としてのVtuberが途絶えたと感じた時、彼は再びその初期衝動を、いまだ頑張っているVtuberの方を見つけ出したときに思い出す。

大事なのは、何度だって同じことの繰り返しのように見えても、そこに面白さや違いを見つけ出せるということだ。
お便りのコーナーでも、もらったお便りに対して「友達」「反省会」「技術力」というものに対して、一回その前提と定義を確認して、相手の定義が違うと思ったら率直に話している。
それは、自分の心の中ではなく、外の世界と、愚かなる人間への、無根拠の信頼を表している。


根拠がないけど、信じるということ


生命は虚無ではなく、虚無はむしろ人間の条件である。けれどもこの条件は、あたかも一つの波、一つの泡沫でさえもが、海というものをはなれて考えられないように、それなしに人間が考えられぬものである。人生は泡沫のごとしという思想は、その泡沫の条件としての波、そして海を考えない場合、間違っている。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるように、人間もその条件であるところの虚無とひとつのものである。
生命とは虚無をかき集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて作られたものは虚無ではない。虚無と人間は死と生とのように異なっている。しかし虚無は人間の条件である。

三木清『人生論ノート』

人が笑う時は、不安や問題がすっと解決したときだという理論を聞いたことがある。
よく考えると、全てものがもしも虚空にしかないのなら、人間が生きる意味も、なんもなくなったりしないのだろうか。彼が憧れていたクリエイターとしてのVtuberは、彼の記述で考えても必ずしもうまくいっているようにはみえない。そうしたものを見て、自分の心の中の虚無を超えた社会への虚無などを感じないのだろうか?
あるいは、剣持は自分自身が言っているように自分自身のこと以外をあきらめたのだろうか?



ところで、今更だが私は配信の方の剣持刀也の良い視聴者ではない。どちらかというとマリカ配信でほかのライバーたちに翻弄され、なんかマシュマロと戯れ、クソクソロリロリしている人だという認識がある。
いや、待てよ、こんなにわか野郎だからこそ語れることが、アリの巣1ミリ程度でも、1マイクロナノセンチでもあるのではないか・・・?!?!?!と私の中の邪な心がうずいてきた。


そこで、剣持刀也でYouTubeを検索してみた。

……驚いた。


そこには、どでかい自分の顎を蹴り飛ばされる剣持。
その顎を外科手術され、UFOを作られる剣持。
そして中指を立てられ殴られけられスパチャを投げつけられ野球に遅刻しロリを追い炎上しROFMAO追放させられ司会をしてラップをしてなんでもやらされ女の子になり結局マシュマロを食う剣持がいた。

この人の周りでは理不尽なくらい論理が通用しない。
でも、彼の周りにはずっと人がいた。というか、コラボの方が本配信より多く見えるまである。そして、時に謎の存在感を気持ち悪がられながらも突っ込み役をこなしまくる彼がいた。

そうか、この虚空教典も、深く考えがちな人のための演出・ウソなのだ。


ある一人の愛すべきバカが、理不尽で面白くない世の中で面白いことを始めようとした。マシュマロもクソも本物の誹謗中傷もすべて受け止めて、人間は素晴らしいと信じてしまったやつがいた。
そいつの周りには、信じるやつが1人、100人、10万人と増えていった。それでもそのすべてを受け止めようとした。

情熱を失ったはずの彼が、にじさんじの仲間たちにいじられながらそれでもニコニコ笑っている様子を見て――私は「剣持さんはやさしいですね」という意地悪を言ってみたい気持ちになった。

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