「美味すぎて疲れる」問題

・うちの小学3年生が置かれた状況はなかなかのものだ。梅雨があけて久しぶりの青空がみえた夏休み初日、しかし都内の感染者数は500人に迫りどこにもいけるわけないってんだから。

・さすが311の年の8月15日に生まれた子だよ。

・「隣町のホテルで一泊するだけでも」とか「せめて温泉に入りたい」とか夏休みらしいイベントができる抜け道を探している。楽天トラベルのアプリで。貯め込んだ楽天ポイントを全部突っ込むつもりで。

・そんな矢先に実家からうまい肉詰め合わせが送られてきて、とたんに暮らしが華やいだ。「きょうは豚ロースの黒胡椒焼きを」「鶏の西京焼きは週末に」みたいな会話を私たち庶民が交わしていいわけがない。

・でも肉はうまいな。うますぎて疲れるから、食べきれずラップして翌朝にもう一度食べたりする。

・うますぎて疲れるという話を私は日記に繰り返し書いている。映画を見たり本を読んだりすれば「面白すぎて疲れる」と書く。そこには「疲れないていどにうまい・面白いものがよい」「うまくも面白くもないが疲れないからよい」といった価値観が見え隠れしている。

・これは「レストランの手の込んだ料理に食べ飽きると家庭料理の素朴さにホッとする」みたいな話なんだろうか。

・それとも「すっぱい葡萄」の寓話よろしく、以下ウィキペディアからのコピペだが、「自分こそが手に入れたかったが、到底かなわない対象と判断・諦めた後に、一部の人々はその対象を一転価値の無いもの、自分にふさわしくない低級なものと無意識に思い込もうとし、それを理由に諦めた原因である己の能力の不足と向き合うことから逃げて、心の平安を得ようとする、というアレなんだろうか。

・つまりこういうことですか。面白みのない人間である私は、面白い人間になろうとして断念しきれず、悔し紛れに「面白さばかりを求める人間は低級だ」と思い込み、「淡々としている日常」みたいな価値を過大に評価する。

・思い当たるわー。

・じゃあ「面白いのに疲れない」がどんな形でありえるかというと、例えば「面白いものがすぐ終わる・すぐ切り替わる」で、そう考えると「Youtubeはよくできてるな」「YouTuberはオモシロの先端だな」としみじみしたりする。


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