アルケミストを読んで
友人に勧められて、パウロコエーリョ著のアルケミストを読んだ。
少年が冒険をしながらいろいろな人に出会い、成長していく様子に、思わず感情移入してしまう小説だった。
コエーリョは、「自分が常に何を欲しているかを知らないといけない。そしてどんなリスクが伴うかも忘れてはいけない」というメッセージを少年以外の登場人物に繰り返し語らせている。
コエーリョのメッセージを行動に分解するなら、以下の3つだと思う。
・自分が幸せでいるコツは自分が必要なものを明確にすること
・自分にとって必要なものを満たす能力を持っいること
・人生のすべてには対価が必要であること
私もつい、時間がないことを言い訳にしたり、環境やお金など外部要因のせいにしながら上記から逃げている自覚はあるが、これらに向き合うことは人生を前に進める上で、とても重要なことだということも同時に感じている。これらを心に留めながら人生を進めれば、どんな未知も恐れることなく挑戦できるのでは?というのがコエーリョが本書で伝えたいことなのだと思う。
ついなんとなくこなしてしまう人生だけど、プライベートでの優先順位や仕事で未知の領域に取り組む際は常に自分の中に答えを持っておくことを意識するようにしたい。
本の中で、主人公は旅の中で出会った登場人物たちと旅、本、そして発見について語り合う。
私も大事な友人と定期的に会い、旅、本、発見、変化にまつわる自分の考え方と相手の考え方について語り合うのが好きだ。常に多くの発見と刺激をもらい、また次のマイルストンに向かって走り出すことができる。また、相手にとってもそんな機会であってほしいと願っているし、お互いにとって成長であり発見の機会になっていることを嬉しく思う瞬間もたびたびある。
例えば、私は大事な友人とはどんなに忙しくとも2ヶ月に一回会うようにしているが、「あの時こう言ってくれたけど、それがきっかけで新しく○○を始めることにした」とか「あの時話してたあれだけど、○年後にこうしたいっていう目標ができたんだ」という話をしてくれると、私もうれしくなる。
ただ、お互いに最初から自分の中に答えがないとただ相手にアドバイスを求めることになってしまい、相手にとっての気づきもな少なくなっててしまうので、気をつけたいと思う。
この言葉にもはっとした。
私自身も他の人の人生には答えを持ってるのに自分の人生には答えを持ってない、正確に書くなら、答えを持っていると思っているが、全体観が見えていないような気がしているのだ。私も自分の人生に答えがないし、友達の人生の話を聞いてると明確には答えがあるように感じ、友人にとっても気づきを与えられたような感覚になる。
それはなぜなんだろう?と考えると、自分のことになると自分が見たい世界を見てしまっているからなのだと思う。自分が見たい世界を見ていないかどうか、本当のことを見ているかどうか注意しないといけないのだと思う。
また、本書を語られる上で避けられないのは「大いなる言葉」という表現。
読み始めて浅いときには大いなる言葉について理解することができないが、本書にちらばめられた大いなる言葉へのヒントを見ながら少しずつ理解していくと、本書が伝えたいメッセージがなんとなく解釈できる気がする。
以下の箇条書きは大いなる言葉に関連するメモ書きだが、「つまり」以下に私の本書への解釈を記載してみる。
・すべてのものは一つ、姿形を変えて現れる
・人は何を見ても自分が関連するものとの関連性を見つけることができる
・勇気こそ、大いなる言葉を理解するための重要な資質
・大いなる魂にすべて書かれている
・大いなる言葉は行動を通してしか学ぶことはなできない。
つまり、要約すると
人は自分の人生に答えを持っていない。大いなる魂に書かれたものを信じて自分の道を追求しながら行動を通して学んでいけば人生にとって知る必要なものは自ずと知ることができる。ただそのためには、自分が欲しているものは常に明確にする必要があるし、強く思い続ける必要がある。勿論、自分の道を追求するにも対価も必要。勇気を持って、恐れを捨てて突き進めば運命が味方してやがて叶えることができる。運命を見つけたら、より良い運命を見つけないといけない。より運命を探し続けることが大いなる魂と一体化すること。
ということなのかなと思う。
本書の言葉を少し借りながら要約してみたので、少し宗教的な表現もあるかもしれない。
また新しい気づきがあったら追記してみようと思う。(2024/8/1)