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世の中は「べき」「べき」「すぎる 」。

「30代までに絶対に読むべき本」
「40代のうちに見ておきべき映画」
「一生のうちに行っておくべき世界の秘境」
「美人すぎる議員」
「かわいすぎる動物映像」

本のタイトル、TVのラテ欄、SNS、誰かの発言。
やたらと目にするこの言葉の響きが苦手だ。

最近では、「〇〇したいなら△△しなさい」というタイトルも目に付く。
売り手側の”こういうタイトルの本が売れたから次もこうしよう”という考えが透けてみえるのもげんなりだし、実際にそういう本が売れるのもなんだかなぁ、という気がする。

みんな、なんでそんなに指示されるのが好きなんだろう。
日本人は、遺伝子的に不安要素が強いという。
だからだろうか、「こうしなさい」「ああしなさい」と言われると、安心するのかもしれない。
これをやっておけば安心、指示されたことを守っておけば大丈夫。
自分で判断しなくていいから、責任もとらなくていい。

「聞いてません」「言われてません」と言う子に、「じゃああなたはどうすればいいと思う?」と聞くと、本当に返事もせずに1時間くらいフリーズしちゃったことあったな、と思い出す。

ちょっと面倒くさいかもしれないけれど、私は「なぜそうなのか」自分で納得しないとやりたくないほう。
子どもの頃、左利きを直さなかったのも、「なぜ左手を使ってはいけないのか」という質問に、母親が答えられなかったから(母親もまぁいいか、と思ったみたいだけど)。

同じように、「〇〇すぎる」って安易に使うのも苦手。
「おいしすぎ」「かわいすぎ」「おもしろすぎ」
本当に?
本当にそう思うの?

そうか、思うのならば仕方ない。
が、もし別にそうでもないのならば。
本当に「過ぎちゃった」とき、その人はどんな言葉で表現するのかなぁ。

いや、言葉をなくすってこともありうるな…
ふむ。

しかし、安易な使い方をしていると、安易な思考になる気がして、もったいないと思うんだよなぁ。

観る映画も読む本も訪れる国も泣く理由も、どうせなら自分で決めたいし、簡単に絶頂は迎えたくない。
ま、「かわいすぎる!」「美味しすぎる!」って言うのも思うのも自由なのかもしれないけれど、
あんまり言い過ぎると「すぎる」感って伝わんないです。


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