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長編小説【記憶の石】

21
14歳の、終わりから。 ※フィクションです。
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#連載小説

【記憶の石】21

【記憶の石】21

 ガムシロップの1ポーションの量が多いと嬉しい。久子はアイスティーに落ちていくシロップの筋を見つめた。
 14時の喫茶店。面接の時間になったら携帯に電話をするから4階に上がってきてほしい。お茶代は出します——「応募先」からはこのような指示があった。店内には他にも、募集のターゲット層と思われる若い女性がちらほらと座っていた。コーヒー1杯に最低でも500円はかかる店だが、応募者には丁寧にご馳走してくれ

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【記憶の石】20

【記憶の石】20

 夜中にセックスした男の部屋で、ちょっとお昼寝させてもらった。私は始発で帰宅して、1限の授業に出て、高円寺の男の部屋に戻って、昼寝して5限の授業に出るということになった。火曜日はこの授業スケジュールだから、いつもは気ままに買い物したり、大学のパソコンでDVDを観たりして過ごしている。昼寝するなら、自宅に一度帰るなり図書館の机に突っ伏していればいいのに、なかなか大学生らしく暇そうで素敵な段取りが組ま

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【記憶の石】19

【記憶の石】19

 090から始まる番号、何度も暗唱した番号、まるで数学が好きな人が美しいとため息をつくように眺めた数字の並びに、少女は攻撃する親指を止められなくなった。何度も何度も裏切った男へ発信する。長く鳴らしているのも煩わしくなり、ワンギリを繰り返して相手に圧力をかけようとする。そろそろ彼は焦り出している頃だろうか。少女は怒りに任せてメールを高速で打ちつける。他の女性たちのように、せっせと携帯メールを打つ用事

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【記憶の石】18

【記憶の石】18

 久子は聖のことが「1番」好きだった。正確には、1番好きなことにしていた。どれだけ他の男と遊んでも聖という存在には勝てない、そういう建前にしていた。
 久子が2歳上の聖と交際を始めたのは21歳、大学4年生になった春のことだった。21歳——この年は、避けるべき出会いが重なってしまった。いや、出会うまではいいのだけれど、人生は、偶然と選択の組み合わせでできているわけで、飛び込んでくる偶然に対する選択を

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【記憶の石】17

【記憶の石】17

『7/5、7/6、7/12、7/13、7/19、7/20、7/26、7/27のどこが会える?😊❤️』

 少女は具体的な日付を提示して「彼氏」に会う約束を取りつけようとした。暑くなってきた7月頭、もう3ヶ月会っていなかった。高校入学直前に彼の家に行ってから、会えない日々が続いている。最後に会った日の夜に開けたピアスは、もう出来上がっていろいろと着け替えられるようになっていた。

『ねぇトモ〜、い

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【記憶の石】16

【記憶の石】16

 私は頭が悪い。とにかく頭が悪いことがコンプレックスだったのだけれど、高校のスクールカウンセラーには『でも、この高校に入れたのってすんごいことなんだよ。』と諭され、ちゃんといい大学にも入れてしまい、そして不本意ながら大学院にまで進んでしまったものだから、私は頭が悪い側の人間として生きていくことが許されなくなってしまった。進路を決めたのはもちろん自分だけれど、考える力がないから、次に進む学校がある限

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【記憶の石】15

【記憶の石】15

 身分証としてパスポートを提示し、コピーを取られて返却されてから、久子は自分の名前を失った。つい数分前までは、『久子さん、』としっかり名前を呼ばれていたのに、この切り替えのスピード、そして違和感の無さに、もうこの世界に足を踏み入れたら最後、元の人間には戻れないのかもしれないし、あるいは本名を取り戻すのも一瞬なのかもしれないと2パターンの想像をしてみた。
 オフィス街の駅に、スーツを着た中年の男、あ

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【記憶の石】14

【記憶の石】14

 私は一度身体を重ねただけで消えてしまう男に執着しても幸せにはなれないということを覚えた。最初のあの1人への凄まじい執着心、あの絶望を乗り越え、何度かそれと似た、けれどもそれと比べたらもっともっと小さな喪失経験をいくらか経て、諦めが早くなった。それは私の大きな成長だったはずだ。ネットで誰かと出会い、そして当然の流れで肉体関係を持ち、今度こそ末長い関係を築きたいと意気込んでもそれからすぐにメールが返

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【記憶の石】13

【記憶の石】13

 少女がこの日会う約束をしていたのは、25歳のサーフ系の男だった。高校2年生の初夏の土曜日、少女は学校の自習室に朝から晩まで籠ると宣言して、7時半くらいに着くよう母親に送り届けてもらった。勉強するというのは嘘ではない。

『ぉはようございます☀️晴れてよかった⤴︎⤴︎』
 少女は今日の相手にメールを送る。
『おはよ〜俺も起きてるよ。もうそっち向かおうかな』
 彼は意外なことに朝型なようで、このメー

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【記憶の石】12

【記憶の石】12

 ただ年を重ねるだけで悩みが解決することもあるのだな、というのが、私の大学生活の感想だった。私は地元で過ごした高校時代まで、孤独であることが人生最大の問題だった。子供なりにあらゆる努力を講じてみたけれど、誰も自分に興味を持ってはくれなかった。誰かと並んで歩いたり、家族以外の人と会話してみたくて仕方なかった。学校で、自然といつも並んで歩く人が決まる仕組みが知りたかった。ところが、大学進学で東京に出て

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【記憶の石】11

【記憶の石】11

 久子は大学2年生の冬、同年齢の者たちから少し遅れてスマートホンに切り替えた。学生までは携帯代を負担すると言っている父親が、そろそろスマホにしようかと提案してきたタイミングでガラケーを手放すことにしたのだった。久子は初めての携帯と同じく、ピンク色の端末を選択した。初めての携帯から2回、機種変更させてもらっていて、次は携帯サイトで最初に知り合った人が持っていたようなスライド式の携帯が欲しかったのだけ

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【記憶の石】⑩

【記憶の石】⑩

 3月下旬ある日の昼過ぎ、この日もまだ少女は14歳だった。少女は進学先の高校の合格者オリエンテーションに両親と参加していた。平日なのに父も母もお揃いの新入生ばかりで、そのオーラが誇らしげにギラギラとしていたので、もしかしたら合格者の自分たちより輝いているのかもしれないと感じられた。
 生徒指導の担当教員という男性教諭がこの学校の素晴らしさを長々と語っていた。うちの生徒は自由なファッションで品行方正

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【記憶の石】⑨

【記憶の石】⑨

 私がガラケー世界を必死で徘徊してやっと正式に、勘違いじゃない彼氏ができたのは高校2年生、16歳のときだった。相手はそのとき22歳で、当時の自分が一番魅力的だと思っていた年頃だった。高校生にとって22歳はすごく大人で、大人の男と付き合うことでダサかった自分がどんどん、洗練されていくような気がして舞い上がっていた。けれども、誰かの「彼女」になるには、「告白」とそれに対する「OK」の儀式がないといけな

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【記憶の石】⑧

【記憶の石】⑧

 少女は背中のランドセルを左右にブンブン揺らしながらいつものように、逃げるように帰宅していたのだが、その日はもっと逃げる事情があった。
 孤独とは、逃げるもの——小学4年生、9歳の時点で既にそれを悟っていた。埋めようとするのは難しいけれど、逃げることならできる。できれば、埋めたいけれど——少女は自分が日頃そうされているように、ある人物を避けたいという意思を働かせることはもちろんあった。1学年下の、

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