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【記憶の石】19

 090から始まる番号、何度も暗唱した番号、まるで数学が好きな人が美しいとため息をつくように眺めた数字の並びに、少女は攻撃する親指を止められなくなった。何度も何度も裏切った男へ発信する。長く鳴らしているのも煩わしくなり、ワンギリを繰り返して相手に圧力をかけようとする。そろそろ彼は焦り出している頃だろうか。少女は怒りに任せてメールを高速で打ちつける。他の女性たちのように、せっせと携帯メールを打つ用事があることは憧れだった。今、少女には伝えたい文章が膨大に浮かんでいる。指が思考に追いつかないほど、彼に言いたいことがありすぎる。

『電話出て』
『出て』
『無視しないで』
『あのさあ、好きだよって何だったの??????』
『なーにが『好きだょ💓』だこのクズ』
『死ね』
『会いたくて仕方なかったのにずっと無視されて辛かった!!!!!!ねぇ好きって言ったじゃん!!!!!!!!!付き合ってたんじゃないの!?!?!?!?!?』
『何か言いなよ😄ゴミ😝ワラ』

 合間にまた通話を発信する。限界まで鳴らし続けるのを数回。あとはワンギリを満足するまで繰り返した。

『話したいんだけど』
『ねえ』
『無視しないでよ!!!!!!』
『好きだったのに ひどい』

 車の中で、あるいはドラッグストアのバックヤードで、彼の携帯がいつまでも唸っているのだろうか。少女はなんとか説明してほしかった。何が理由で会う気がなくなったのかは不明だが、彼の卑怯さに血流のスピードがまるで轟音を立てているかのように感じられる。何か一言でも反応してほしい。暴言でもいいから、何らかの意思表示を懇願する。あまりにも連絡が欲しくて、内容よりも反応があったことに歓喜するあの感覚、あの喜びを少女はまた感じたかった。この状況に至ってもまだ連絡に喜びたい気持ちがあった。

 少女は相手と出会った携帯サイトにログインし、「日記」に恨みをぶちまける。中学の同級生や、社交辞令的にサイト内で繋がった高校のクラスメイトたちが見るかもわからないが、そんなこと構わなかったし、少女自身が中学の終わりに憧れた「恋愛で病んでいることを日記で明かす」ことがここで叶うことになったのだ。『マヂ病むんだけど。。。。』親指で紡ぐ、恋愛で何かあったことを思わせるフレーズ。その原因、理由は実際に経験してみると本当に無理だったが、悩む対象の相手ができているのは間違いなく人生がステップアップしている。少女は衝撃的な悲しみにほんの一滴だけの喜びを感じた。奇妙なことはわかっているが、相手が存在する悩み、そしておそらく相手方が悪いという状況は、中学を出るまでひたすら悩み抜いた孤独という問題より格が上であると疑わなかったのだ。少女は人生経験の少なさを回収しようとする。相手を罵ることで。


え、もうさ、マヂ無理なんですけど。藁
なんかもー笑うしかないって感じ?

なーにが『好きだょ💓』だゴミ野郎

ずっと信じて待ってたのにさ。。。。。
マヂ病むんだけど。。。。

はー、クソすぎる。クソクソクソ

ゴミ偏差値の大学乙😄🤚
ウチもう頭悪い人と関わらんようにするわ💨



 ぎこちない負け惜しみを公開した。少女の悩み事は他者の存在を得てレベルが上がっている。それまでの悩みに相手は存在しなかった。今、特定の人を恨んでいる。それは一瞬でも交流があったからだ。関わりのない人同士にトラブルは発生しない、たぶん——。
 少女はあくまでも恋愛で何かがあったということを窺わせる内容に留めた。とりあえず恋愛で何かを体験した自分、相手に酷いことをされた自分を披露したくなった。けれども、さすがに男と交際関係にあると誤解して健気に待ち続けていたという事実はあまりにもダサいので、正確なことを明かすのは憚られた。

 日記での非難、絶え間ない通話発信、メール攻撃に耐えかねてか、念願の想い人は『しつこい。』と一言メールを送ってきた。しつこい。——句点まで打ち込まれた一文に少女は歓喜した。愛着のある相手からのリアクションが、少女は嬉しかった。怒り、憎しみと、最後に湧き上がった愛しさに涙がジャラジャラと溢れて止まず、汗と一緒にずぶ濡れの真夏の夜を明かした。
 

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