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みどりのゆび

 今日の気温は何度だろうと、ふと思った。少しむし暑い気がする。数日前に梅雨入りしたとはいえ今雨は降っていなくて、空には夏の気配を感じるような雲と少しの青空が覗いている。
 開けたリビングの窓の外では葉の擦れる音がぱさぱさと聞こえていた。まあ気温なんて何でもいいかと思い直し、わたしは本を読む。
 今日は日曜日で、朝十時に起きた時からわたしはひとりだった。アイスティーを飲みながらソファでごろごろと伸びをして、今日一日何をして過ごそうかと一時間くらいぼうっと考えた。その後ふと目に入った本棚の本を一冊取り出して読み始めると、時間は案外するすると流れていった。
 読んでいるのは「みどりのゆび」という海外の児童文学だった。少年の親指に触れると、場所の隔てなくそこから花が咲くという物語だ。
 我が家の本棚には、買って読んでいない本がたくさんあった。そのほとんどがわたしのもので、読みたいと思って買ったまま、手をつけずにコレクション化している本が棚の三分の一くらいはあるのではないかと思う。わたしは本を読める時と読めない時の差が激しく、読めない時は絵本を見ても意味がわからない。しかしこうして、「読める」時期に入ると、本屋に行かなくても読む本を家の中で選べるなんてしあわせなことだと、出不精なわたしはしみじみ思った。
 読書に疲れると、時々窓の外を見やり空を見た。窓から入ってくる湿気たほのかな熱気と、淡い色をした青色に来月はもう七月になるのだということを思い出し季節の変わり目を実感した。わたしは季節という流れのなかで今日も生きているのだと思った。
 体調の波があって、今はその波の底の方にいるのだと主治医に言われた。確かに五月に入ってからずっと調子がよくなかった。しかしこのままずっと下がっていくというのではなくて、また元気になるから今はじっと耐えて過ごすように、というのが医師のアドバイスだった。
 わたしはその助言を素直に聞き、じっとしていようと決めた。元気になるであろう未来を想像したりすることもなく、ごく自然に今を受け入れることに注力しようと考えたら、今日という日に、地に足がついたような気がした。
 今日はネットスーパーの配達を午後に頼んだから後で食材がたくさん届く。食事を作って、食べて、夜になったらベッドに入る。朝起きてから夜までの時間を気ままに過ごすこと。今のわたしには仕事もなければ出掛ける予定もない。ただ与えられた今日の日を生きることが、わたしの日曜日の予定。昨日ジムで、この土日の予定は?と訊かれて、咄嗟に何もないと答えた。しかし何もないわけではないのだ。わたしは生きている。本を読んだり、文章を書いたり、何よりご飯を食べて寝て、呼吸をしている。
 人生、その繰り返しでいいのではないだろうかと思う。仕事がある時もあるし、ない時もある。出掛ける日もあっていいし、日がな家で過ごすこともある。楽しみな予定なんてない。それを糧に生きていくことは疲れる。わたしは淡々としていたい。例えば今外で雷が鳴り出したことにも、心を揺らされたくはない。
 飽くまで、日々を生きていくということについての話。感動はしたい。でもそれは元気な時でいい。今はじっとしている。空を見上げる。雨が降る。
 わたしの親指に触れても花は咲かない。それでも季節が巡れば花は自然と咲くから、わたしはその時を待って、今日生きていればそれでいい。

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