見出し画像

映画『福田村事件』――ホラーで愛国でリテラシーな超問題作

ちょうど100年前の明日(1923.9.6)、現在の千葉県野田市で発生した虐殺事件をベースにした、異色の劇映画『福田村事件』(森達也監督)。“特別支援者”6人の一角に敢えて顕名で連なった者の責任として、全国公開を機にコメントを記しておきたい。


観終えても続くホラー


 とにかく、これは今まで僕が観た中で最恐のホラー映画だ。他のホラーは、ゾンビだったり特異な殺人鬼だったりと恐怖の対象が《他者》なのに対し、史実に基づくこの作品では恐怖の対象は《我々》自身。後半これでもかというほど続く虐殺シーンには、ユダヤ人虐殺を指示したヒトラーに当たる明確な存在がいない。ただただ[先入観]と[社会不安]と[集団心理]が、素朴な村の人々を虐殺者に“キャラ変”させてゆく。

 しかもこれは、関東大震災直後の被災地あちこちで「震災死者数の1~数%」(by 内閣府中央防災会議)=つまり千〜数千人が犠牲になった同時多発大虐殺の、氷山の一角にすぎない。

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

 だから、映画館を出て街の人混みの中に戻ってもホッと解放されることはなく、むしろ現実の恐怖の只中に放り込まれたような感覚に陥る。道ゆく善良な人々皆が怖く見えて仕方ない、という異様な体験をさせられる。だって今の世にも、様々な[先入観]は根付いているし、[社会不安]はジワジワ増大中だし、[集団心理]はSNSでいつ着火するかわからないから。

「鮮人(センジン)じゃねえんか?」緊迫の睨み合い
©「福田村事件」プロジェクト2023

怖すぎるゆえのジレンマ

 
 あまりにも怖いので、正直言って「この映画は皆に無条件に勧めていいのか」と悩ましい。メッセージが鮮烈すぎて、受け止めきれずダメージを食らってしまう人が結構出るのではないか。「この人には、観てと勧められないな」と思う知人も結構いる。

 知ってほしいけど、勧められないというジレンマ。視覚や聴覚が弱い人向けのユニバーサル・バージョンを作ることが映画界でも広まりつつあるが、《メンタルが弱い人向け》のバージョンも考えてほしい、と初めて真剣に思った。それが叶わない現実の中で、でもやっぱりこれは知ってほしい。どうすりゃいいんだ。

狂奔しなくても、時代の共犯者になる

最後まで虐殺には加わらないけれど…
©「福田村事件」プロジェクト2023

 群像劇の主人公の1人・井浦新が演じる元教師は、理想ばかり高くて何も行動できない、1923年のとても非力な男。2023年の現状を憂いながら、「憂いている自分は、踊らされてなくてエラい」というささやかな自己満足に安住している多くの現代人(たぶん僕もその1人)と、その非力さはかなり似ている。劇中の彼には深いトラウマがあるという深層は決定的に異なるが、《憂い顔ばかりで行動できない》という表面は僕らの多くとオーバーラップする。

 で、その果てに、そんな態度のままだとこの結末は避けられないんだぞ、と容赦ないほど突きつけられる。

誰もが半鐘を鳴らせる時代に


  映画のクライマックスの惨劇は、 1人の村人が駆け上がって半鐘を打ち鳴らしたことから始まった。(余談だが、脚本にはこの半鐘シーンは「円福寺・境内」と書かれている。実在のこの寺には、今も福田村事件の追悼慰霊碑がひっそりと建っている。) それぞれの家や畑、畦道でこの半鐘の音を聞いた善男善女が、手に手に鉈や竹槍を持って、怪しい行商団のいる茶店へと続々と集まってゆくーーー。

現代の半鐘は、僕たちの手の中に

 今、僕たちは駆け上がる必要もなく、いつでもスマホのタップ1つで全世界に届く半鐘が鳴らせてしまう。100年前より、はるかに恐ろしい。不確かな情報を拡散すると、社会はどんなに豹変するかーーーそれを見せつけてくれるこの映画は、最強のメディアリテラシー教材でもある。

「最高の愛国心とは…」


 パンフレットの中で荒井晴彦さん(企画・脚本)は、「最高の愛国心とは、あなたの国が馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」という言葉を引用している。自分たちの社会の黒歴史を無かったことにせず直視する姿勢は、「自分たちの社会をもっと良くしたい」という前傾姿勢の表れだ。

 「こんなクソ社会、これからどんなに混乱や分裂が進んでも知ったこっちゃない」と思っていたら、ここまで途方もない苦労をしてこんな映画は作れないし、製作費を募るクラウドファンディングだってこんなに集まりはしない。それが実現したということは、話の内容は絶望的だけど『福田村事件』は実は希望の映画なんだと思う。

寄付者、製作者、出演者の思いが束となり


  “こんなに集まり”とは言ったものの、クラウドファンディングによる寄付は2,257人から3,537万円余。このスケールの映画製作費としては、圧倒的に足りない。

避難民8。この後、マスクを外し顔と露出部分の肌を汚して撮影に臨む。

 僕も片腕を三角巾で吊った「避難民8」の役で1日エキストラ参加したけれど、撮影現場の“低予算との闘い”ぶりには驚かされた。その日は、たった1人のメイクさんが大勢の出演者のメイクを一手に担い、順番待ちの大行列。集合場所から山奥のロケ地までの移動も、大型バスで1往復ではなくスタッフのマイカーにまで分乗してせっせと輸送。本当に皆の熱意に支えられて何とか完成を目指しているその倹約ぶりには、感銘を受けた。

 そんなチャレンジングな現場に、テーマにびびらず飛び込んだ俳優陣も、すばらしい。「悲劇だが、監督の優しさが溢れている映画」と言う井浦新さん、「より良き未来のために“発見”させてくれる重要な映画」と言う田中麗奈さん。永山瑛太さんや東出昌大さんも、並々ならぬ意気込みを公言している。

井浦新・田中麗奈が演じる夫婦は、ストーリーの縦系
©「福田村事件」プロジェクト2023

前半に戸惑う人も、どうか席を立たないで


  ただ、これは監督ではなく脚本の話だが、大震災発生前までの普段の村の描写があまりにも濃厚で、「前菜を食わされすぎて、満腹になってからメインディッシュを迎える」しんどさを僕は感じてしまった。これでいいという人もいるだろうし、制作陣もかなり悩んだ末の確信犯らしいが、それにしても「このエピソード要る?」という混沌の前半。

 でも、その中に巨大な磁石が置かれた瞬間、バラバラだった砂鉄が一気に磁力線を描くようにワッと揃って後半になだれ込む。その恐ろしさに呆然としているうちに、メインディッシュも全部食わされてしまう。そして戦慄だけが残るのだ。

推薦コメントでなく、苦言を並べた公式パンフ

脚本全文、詳細な年表、主要参考文献(166冊)一覧… 圧巻の全94ページ。

 もう一つ特筆すべきは、この映画の公式パンフレットの、覚悟を決めた誠実さだ。この事件の史実を長年調べてきた「福田村事件追悼慰霊碑保存会」の市川正廣代表(元・野田市職員)によるこの映画への《苦言》が、ものすごくストレートに5ページにわたって掲載されている。

 「史実とフィクションの分け方が不鮮明で、映画を見た人がこういう事件だったのかと思ってしまう」というご懸念は、東電原発事故をドラマチックに描いたエンタメ映画『Fukushima 50』に対する僕の懸念と完全に一致していて、大いにうなづける。

 そしてその指摘に対する、対談相手の佐伯俊道さん(脚本)の一つ一つの応答も、ある意味で腹が据わっている。

 かくなる上は市川代表が望むように、この映画をきっかけに「本当はどうだったんだ?」という関心が高まり、現地勉強会(既に時々開かれているフィールドワーク)の参加者が増えるといいな、と思う。

 3·11の津波で大きな犠牲を出した大川小事件を描いた映画『生きる』が今年公開された後、まさにそんな現象が地元でじわりと起きたという。同じ効果を、ぜひ野田市でも!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?