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ペットは家族。何があっても最期まで愛せますか?

ペットは「かわいい!かわいい!」と、なでまわしていればいいわけではない。

コロナ禍でペットを飼う人が増えているが、同時に飼育放棄する者も増えているそうだ。

「命なのになぁ…」なんてかわいくつぶやいているが、実際は「テメェが悪魔だろ!」と思わず声が出た。

ペットはモノではない。ごはん・トイレの世話、最低限のしつけ。
そして忘れてはいけない、いつかはくる別れの時。
もしペットが病気になったら、介護が必要になったら…

それでも最期まで愛することができますか?

まさかウチのコがボケるなんて…

私はかつて、柴犬の三郎と一緒に暮らしていた。17歳でお空へ飛び立ったが、それまでずっと一緒だった。私の結婚・出産・育児をすべて見守ってくれた。子供たちが初めて発した言葉は「あーたん(さぶちゃん)」だった。

犬を迎え入れるにあたって、たくさん勉強した。しつけや病気のこと。
現在ペットの治療やフードが充実し、ペットの寿命は確実に延びている。当然介護も視野に入れておかなければならない。

私はペットの介護についても前もって調べていた。柴犬は特に認知症になりやすい犬種だというのも理解していた。ただ、心のどこかで「きっと三郎は大丈夫」と思っていたのかもしれない。

三郎は15歳を過ぎた頃から足腰が弱くなった。以前はひょいっとジャンプしてソファの真ん中を堂々と陣取っていたのに、それに失敗するようになったのだ。

歳をとったなぁなんて思っていたある日、娘が笑いながら教えてくれた一言に冷や汗がでた。

「学校から帰ってきたらな!さぶちゃん(三郎)冷蔵庫とウォーターサーバーの間にはさまって、出れなくなってたで!」

狭いところに入って身動きが取れなくなる。
認知症の症状だ。

介護のはじまり

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信じたくなかったが、この日から認知症の症状がどんどん現れた。
私たちがご飯を食べていても、見向きもしないようになった。いつもは横でおすわりをし、子供たちが行儀悪くポロポロと落とすおこぼれを待っていたのに。

同じところをぐるぐる歩き回る。散歩から戻ったのに、またすぐに行きたがる。呼んでも反応がない。トイレに失敗するようになり、おむつが必要になった。

そして昼夜逆転生活。昼間グウグウ眠って、夜中になると徘徊するのだ。
徘徊なので物を避けることもできない。眠っている私の顔面も、平気で踏んづけていく。

昼に起こしておけば、夜中眠るのではないかと考え、当時会社勤めだった私は昼休みに家に帰って散歩に連れ出してみた。

しかし電信柱の匂いをクンクンしていると思ったら、うつらうつらとしているではないか…!だっこして歩いてみても、結果は一緒。昼に散歩しても眠ってしまう。

早々に昼の散歩をあきらめ、夜中顔面を踏んづけられることを選んだ。

夜鳴きの恐怖

別に顔を踏んづけられても平気だった。「いてぇ!」と起きてもすぐまた眠れるし、三郎も徘徊に疲れれば部屋中に敷き詰めた布団の上で眠ってくれていたからだ。

しかし介護はそれでは終わらない。だんだん歩けなくなってくると、それと引き換えに夜鳴きが始まった。

はじめは小さな声だった。夜中に「ふ〜ん」という情けない声がしたので起き上がると、寝転がったままの三郎が手足をバタバタさせているので抱き上げてやる。

するとすやすやと眠ってくれたので、そのまま抱っこして自分も眠った。鳴いても抱っこしてあげると安心するのか、そのまま眠るので「赤ん坊みたいだな」と愛おしさが込み上げた。

だが、日に日に声が大きくなっていく。そして抱っこしても眠ってくれなくなっていった。

「おぉ〜ん!おぉ〜ん!!」

三郎は全く吠えない犬だった。家に一度泥棒が入り、ありったけの現金を盗まれたことがあったが、その時も吠えなかった。(一緒に2階で寝ていた)

そんな三郎が大きな声で鳴く。まるで遠吠えのようだ。娘は2軒隣に住んでいる友達から「オオカミ飼ってるの?」と言われたそうだ。そんなところまで聞こえているのか、と不安になる。

5分ほど鳴き続け、疲れたら眠っているようだった。だが2時間ごとに鳴く。
ご近所の迷惑にならないよう窓を閉め切って、鳴く三郎と一緒に布団にもぐり込む。

「大丈夫、大丈夫、こわくないよ」話しかけながら体を撫でてやった。

当然、自分も寝不足だが家族みんなも寝不足だ。いくら布団に入っていても、柴犬の遠吠えはかなりの声量。朝起きるとみんなで「眠い…」とぼやいていた。

ある日、昼休みに三郎の様子を見に帰宅すると、お隣さんが出てきた。
「夜中、犬の鳴き声がうるさいんだけど、何か病気?」

その後、どう説明したかハッキリ覚えていない。
ごめんなさい、歳とっちゃって、気をつけます、ごめんなさい

早口でそう繰り返して謝ったと思う。涙がこぼれないうちに、早く家の中に入りたかった。

スヤスヤ眠っている三郎を見て、涙が止まらない。

認知症で何もかもわからなくなっている三郎を悲しく思っていた。私のことも忘れてしまっているんだと、抱っこして眠らなくなってきたあたりから感じていた。

「うるさい」のはわかっている。私だって正直「うるさい」と思っている。
ただ「うるさい」と言ってしまえば、存在を否定しているような気がしたのだ。

言わないようにしていた「うるさい」を言われたことで、夜鳴きが恐怖に変わってしまった。

言ってはいけない一言

添い寝

「うるさい」と言われて当然だ。私にとっては家族の三郎だが、他人にとっては犬だし、夜中に遠吠えが毎日聞こえてきたら眠れないはずだ。

ただ、どうすれば鳴き止むのかわからないのだ。抱っこしても、おむつを替えても、ごはんをあげても、一度鳴き出したら止まらない。

外へ連れ出しても鳴き止むのはほんの数分。また大声で鳴くのでたまらなくなり、三郎のマズル(口周りから鼻先)を押さえ込む。

「お願い、鳴かないで。」

それでも声にならない声で鳴く。
んん〜〜!!ん〜〜〜〜!!!

夜中の公園で、何度泣きながらこんなことをしただろうか。
立派な動物虐待だ。私の寝不足も限界でとうとう言ってしまった。

「うるさいよ!!」

病院へ駆け込む

このままではまず、寝不足で自分が倒れてしまう。自分が倒れてしまっては、三郎を介護する人がいなくなってしまう。それはダメだ。
そして何より、これ以上頑張ると三郎を嫌いになってしまいそうだった。

認知症に効く薬はない。病院へ行っても何も解決しないと思っていた。
それでも誰かに聞いてほしくて、かかりつけの動物病院へ三郎を連れて駆け込んだ。

病院嫌いの三郎は、いつも診察台の上から逃亡しようと試みていた。でもその日は眠ったまま。先生はかわいいかわいいと笑っていた。

「認知症だと思うんです。夜鳴きがすごくて…薬がないのはわかっているんですが、何か解決策はないですか?」

うんうんとニコニコしながら先生は話を聞いてくれた。

「まずね、ひとりで抱え込むことないんですよ。家族みんなで介護しましょう。三郎くんは家族なんだから、家族みんなで見守ってあげてください。

どうしてもつらい時は、こういった介護施設もありますよ。ただ、料金が高いのと、少し遠い場所にあるので移動が大変ですね。ペットの介護施設はまだまだ少ないからね。増えるといいなと思っているんですよ。」

ペットの介護施設があるのか…ただやはり高額で、車の免許を持っていない私には移動が難しい距離だった。

「他には…睡眠薬も出せるけどね。絶対効くかというとそうでもないし、あまりおすすめしません。まずは家族に協力してもらってくださいね。マッサージをしたり、お昼の散歩をしたりだったら、お子さんもできるんじゃない?」

ひとりじゃない

さすがに子供に夜中起きておけと言えないので、学校から帰ってきたらマッサージをし、抱っこして外に連れ出してもらうことにした。
おむつの替え方も教え、汚れていたら取り替えるようにしてもらった。

それまでひとりで全部抱えていたので、とても楽になったと感じた。

そしてマッサージが効いたのか、お昼の散歩が効いたのか、この頃から夜鳴きが少なくなってきたのだ。大きな声だった遠吠えも、だんだんと小さな遠吠えになっていった。まとまって眠れる時間が増え、心に余裕ができた。

もしかすると、三郎はさみしかったのかもしれない。
三郎は常に子供たちと一緒に遊んで、寝て、ご飯をたべていた。
ずっと一緒だったのだ。

子供たちがふれることによって、安心したのかもしれない。

最期の日

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夜鳴きは完全に収まることはなかった。寝不足は解消されなかったが、大声で鳴かなくなり、寝転ぶ私のお腹の上に乗せてやると眠るようになった。その姿は赤ん坊のようで、とてもかわいかった。

家を出るとき、私はいつも三郎に「いってきます」を言う。その日も眠っている三郎に「いってきます」を言った。

言った瞬間、なぜか「今日でお別れだ」と感じた。会社へ行きたくない。猛烈にそう思った。冬休み中だった子供たちに、30分に一回は三郎の様子を見るように伝えた。何かあったらすぐに電話するように、何度も何度も言った。


仕事が終わり、同僚に飲みに行こうと誘われた。ごめん、また今度!そう言いながら自転車を漕いだ。

帰宅すると、息子が三郎のおむつを替えていたところだった。
いつもならすぐに夕食の支度をするが、三郎のそばにいることにした。

やっぱり、もうお別れだ。なぜそう思ったのかわからない。でもそう感じたのだ。

ゆっくり体をなでてやる。ありがとう。ありがとう。
それ以上言葉が出てこない。伝えたいことはいっぱいあるのに。
子供たちもそれぞれ声をかけていた。

やがて呼吸がゆっくりゆっくり、深くなっていく。
最後にふーっとため息のように息を吐いて、三郎は逝った。

それはそれは穏やかな顔をしていて、とても優しい最期だった。

家族の一員

介護はとても大変だった。犬用おむつのサイズが合わないのか、ズレてしまうので人間の介護用おむつパッドを使ったり、噛むことができなくなってしまったので食事を手作り食にしたりと、日々試行錯誤していた。

特に夜鳴きは寝不足が続き、体力的にもつらかった。いつまで続くんだと頭を抱えてしまう。

しんどいことは確かに多かった。でも、それよりもシニア犬のかわいらしさが勝った。

だれだって歳をとる。それはペットも同じだ。
モノではない。命だ。そして迎え入れたからには家族だ。

どうか最期まで、愛を持って一緒に過ごしてほしい。



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