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組織は「アタマ」から変える

いまこそ、変わらなければ。変えなければ。

そう言われ続け、様々なところで様々な挑戦が続けられ、それでもなお、本当の意味では変革への舵が切れないJTC組織の数々。

それでもなお、人と組織の可能性を諦めきれない。今度こそ、本気で動かしていく。自分を含めて、そんな、どうにも諦めの悪い人たちとともに過ごした濃い2日間。

そこには、過去の成功体験を手放せず、本当に大切なことを考え、自分たちを縛る前提を根底から問い直すことに対して「思考停止」状態になった大企業に対して、その中枢をつかさどる現職の経営チームに対して、彼ら自身の手で新しい文化、新しい思考のOSを創り出すために真剣に仕掛けていこうと集まった人たちがいて。

そもそも、そんな想いでつながる私たち自身は何を大切に、どんなストーリーを生きてきたのか。
主催企業の、創業者の、各参加者がこれまで何を思い、どう現実に挑戦し、どんな傷を負いながら、いまどこにいるのか、これからどこに向かおうとしているのか。

ただ、それだけを語り合い、聴き合った時間。

みんなの痛みと願いが重なり合って、新しい現実が現れ出ようとしているかのような場のエネルギーにどっぷり浸かってきた感じがしています。

対話の最後に、思わず口をついて出た自分自身の言葉 ― これまで様々な企業で経営層の人たちのハダカの心に触れたときに直観してきたこと ― の意味を、現実に戻る前にちょっと咀嚼しておきたくて、帰る前に軽く振り返りタイムをつくっていたときに。

思いがけずフラッシュバックしたのは、20年近く前に観ていた韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のワンシーン。

主人公が、長年に渡り自分やお師匠さんを迫害し続けてきた「敵方」の女官長に
「あなたの握りしめたその拳を開いて差し上げたい」
と語った言葉が、突然のようによみがえってきて。

そうか、私が信じていたこと、やりたかったことは、そこにあったんだな、と。

ある一面において「彼ら」は「敵方」だったのかもしれない。
未来の兆しがもうそこまで見えてきているなかで、なぜ、新たな軸を立てるための動きを封じるのか。なぜ、新たな現実を創ろうと真剣に挑戦する人を爪弾きにし、Yesマンばかりを周りに侍らせるようなことができるのか。

だけど「彼ら」にも「彼らにしか見えない景色」のなかで必死に闘っているという現実がある。

様々なステークホルダーからの圧力に日々さらされ続け、先の見えない環境のなかでそれでもリーダーとして逃げることなく責任を背負い続ける重み。自分の判断ひとつで長年続いた歴史が終わってしまうかもしれない、多くの従業員を路頭に迷わせてしまうかもしれないという恐怖感。

若かりし頃から「この道を進むことが正解」なのだと、強く刷り込まれ、いつしかそれを信条とし、自分と一体化させてしまっていた。彼らには、彼らが生きてきたストーリーがある。そういうことなのかもしれない。

そんなとき、思い出す。
他の人の目のある場では決して見せない表情や言葉のなかに、ふと滲み出す「ハダカの心」に触れたとき、鎧や仮面の奥にある「声」を聴いたとき、ある一面においては「彼ら」も「私たちの一部」なのだと思える瞬間があったことを。

「彼ら」が振り上げた拳を下せないのにも、ちゃんとそれぞれの人のなかに理由がある。

あなたの手を、その握りしめた拳を開いて差し上げたい。

私はなぜここにいるのか、なぜこの道を歩いてきたのか、これからどこに向かおうとしているのかが、すっと見通せたような、そんな気持ちを携えて帰路につく日でした。

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