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江戸時代のデザイン〜災害かわら版〜しぜんのかがくep.34 ぼうさい豆知識〜デマを拡散しない方法

名古屋市港防災センターでは、江戸時代の災害かわら版の企画展が2024年2月25日まで開催されています。かわら版は江戸時代から明治時代にかけて流通していた庶民向けの印刷物で、当時起こった事件(天変地異、大火、心中など)を木版でイラストとともに作成し、売り歩いた無許可の印刷物ですね。文字も書かれていますが、絵(デザイン)をひと目みると何がかかれているかわかります

今回展示したのは、今から約170年前の南海トラフ地震の際に発行されたかわら版です。安政元年(1854年)の冬、旧暦11月4日(現在の12月23日)に、安政東海地震、その翌日には南海地震が起こりました。地震の規模はマグニチュード8.0相当と大きく死者千人、家屋倒壊3万軒以上となりました。じつはこの翌年には1855年に安政江戸地震(江戸時代の首都直下型地震、M7クラス、死者4千~1万人)が起こったんですね。安政江戸地震の際には、鯰のかわら版が多く発行されました。
※災害時の混乱下では美人画や役者絵が売れなくなり困った版元が、「地下深くには鹿島大明神(茨城県鹿嶋市)の『要石(かなめいし)』の力で抑えられた地震鯰がいて、時に地震鯰が暴れると地震が起こる」という伝説を基に、地震で混乱する江戸を風刺した錦絵=「鯰絵」を企画したそうです。

しんよし原大なまづゆらひ @東京大学付属図書館

参考:かわら版・鯰絵にみる江戸・明治の災害情報-石本コレクションから (u-tokyo.ac.jp)

安政東海南海地震では津波が発生し、被害が大きくなりました。安政南海地震で有名なお話だと「稲村の火」というお話があります。小泉八雲の英語の作品を日本語に訳したものですね。戦前から戦後しばらく国語の教科書にも載っていたんです。和歌山県の広村という場所で浜口儀兵衛(ぎへえ)が地震のあと、暗闇の中、松明(たいまつ)で村人を津波から高台に逃がすことができ、犠牲者が少なくて済んだというお話ですね。

この浜口家の子孫はのちにヤマサ醤油を作った人です。11月5日は「津波防災の日」、2015年から国際総会でも「世界津波の日」になっています。

展示写真

かわら版の一部を見ていきましょう。紹介するのは、「諸国大地震大津波末代噺」からです。※以下のイラストの写真は、すべて「すごろくで学ぶ安政の大地震」のページの一部です。

安政東海地震で揺れだした様子です。大阪は震度6程度だったそうです。人々がそれぞれ火を消したり外へ逃げている様子が描かれています。

これは地震が起こった日の夕方、お風呂から人々が逃げている様子ですね。以前温泉の回でもお話したんですが、江戸時代の人々は自宅にお風呂がなくて銭湯に入るのが普通でした。

当時の東海道の宿場町の様子が描かれています。当時はそれぞれの地域の様子は飛脚が情報を運んだそうです。宮宿は現在の熱田神宮の門前町ですね。桑名宿は文字通り桑名市ですね。この二つの宿場町は船で行き来していたんです。熱田区に「七里の渡し」という場所があります。今は名古屋港は港区にありますが、埋立地ですね。当時は熱田区に港がありました。 
 この時の地震の津波は堀川をさかのぼり、尾頭橋(中川区)まで達しました(2~3mの高さの津波だったそうです)。

この絵で興味深いのが、人々の逃げ方です。両手を挙げて逃げています。漫画のようですが、実際にこのように逃げていたそうです。手を振ると着物がはだけるので両手を上げて逃げたようです。また、ナンバ歩きといって左手と左足、右手と右足が同時に出ています。これも着物が着崩れないように歩く当時の人の歩き方の工夫だそうです。

江戸時代は熱田神宮(宮宿)の近くに港がありました。

災害のコマばかりではなく、無事を知らせる絵もあります。1707年に宝永噴火というのがありました。南海トラフ地震である宝永地震(史上最大の南海トラフ。静岡県沖から四国沖まで震源となった)から49日後に富士山が噴火したんですね。その記録があったので、今回は無事であると知らせたかったのでしょう。

このとき、福井県の敦賀市(越前)でも揺れたんですね。暦では12月。雪が降っていてもおかしくない時期です。揺れで家屋が傾き寒い中外に避難している人もいます。冬の時期の避難はさぞかし過酷だったでしょう。「よなおり、よなおり」「めでたい、めでたい」とあるのは、特に上方(京都、大阪)周辺で地震の時に唱える呪文(厄除け)です。関東では「万歳楽(ばんざいらく)」と唱えたそうです。これは、弘法大師が開山した霊峰「萬歳楽山(福島県と宮城県境にある標高915mの山)」に由来するもので、この山は古くから地震などの天災を避ける山として信じられていました。

余談ですが、「くわばらくわばら(雷や災難を防ぐため)」も呪文だそうです。学問の神様の菅原道真が藤原時平にねたまれて大宰府に左遷され、その地で亡くなったときに怨霊となって、各地に雷を落としました。菅原道真が領地としていた京都市中京区の桑原という地域に雷が落ちなかったからだそうです。

「諸国大地震大津波末代噺」のかわら版のタイトルにもありますように、末代噺(まつだいばなし)と言葉は、末代まで話の種として語り継いでほしいという意味が込められているそうです。

もっと詳しく知りたい方、実際に見たい方は、名古屋市港防災センターでは2024年2月26日まで展示中です。今週末(Podcast放送日2月23日時点)では、土日(24日、25日)にお越しください。

「諸国大地震大津波末代噺」は防災専門図書館のページでも、高解像度のデータでご覧いただけます。展示を見れない方は、こちらのかわら版を眺めながらPotcastを聴いてみてください。

また、「すごろくで学ぶ安政の大地震」の本は以下の風媒社のサイトまたはAmazonでも購入できますので、ご興味のある方は是非読んでみてください。

ぼうさい豆知識〜デマを拡散しない方法

実は、江戸時代も不確かな情報がかわら版に掲載されています。以下先ほど紹介したかわら版の一コマ。東海道の宿場町で、蒲原は現在の静岡県清水区、吉原は静岡県清水市です。

この場所に実際は火災があったかどうかは不明なのだそうです。小規模の火災が伝わるうちに話が大きくなってしまったとか(丸やけと書かれていますね。)

当時は情報拡散スピードが遅く影響は少ないと思われますが、現代はメール、SNS(X(旧Twitter))等で非常に速いスピードで拡散していきます。以下は私が遭遇した、2011年3月11日東日本大震災時のデマです。

能登半島地震でも「人工地震とするデマ」「能登半島地震の影響で、志賀原子力発電所1、2号機の変圧器油漏れにより火災が発生した」、
助けを求めるTwitterを架空の住所と共に投稿するデマ(「右腕がタンスに潰されてます。感覚がない、動けない」「家が崩れて女性と子供が挟まれて取り残されています」「息子がタンスの下に挟まって動けません」等)もありました。

X(Twitter)より

SNS上のデマに惑わされないためにはどうすればいいのか。
①最新の情報かどうか。②情報ソースは安全か。③発信者を確認。
「情報源は信頼できるか」「その人は専門家か、誰が発信しているか」「他ではどう言われているか」「その画像は本物か(過去の津波の写真を使って恐怖をあおるTwitterもあったようです。)」

出展:防災アクション
出展:防災アクション

人間は同時に何かが起こると因果関係を求めたがる性質があります。その結果、勘違いをして間違った情報を拡げてしまうこともあります。面白がって情報を広げる人もいますが、情報を拡散することが自分や人のためになる」という感情から悪意なく行動する人もいます。
不安になると情報に縋りたくなりますが、一呼吸置いて正しいかどうか判断する情報リテラシーを身につけてほしいと思います。

⭐️Podcast本編はこちら↓宜しければお聴きください♪
神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく



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