見出し画像

怖がりな私の乳がん生きのばし日記 ⑪ 手術の後の夜~ヒマの過ごし方 in 病棟

2021年6月15日

手術が終わった夜は、なかなかつらかった。

といっても、全身麻酔の後遺症で吐き気やめまいをもよおした、というわけではなく、またも「おしっこの管」に悩まされた。
先生から聞いた話では、手術が終わるとすぐに外してもらえるはずだったが、もう夜になっていたせいか、そのまま消灯になり、疲れていたのですぐに寝ついたものの、夜中の2時くらいに腰が痛くて目が覚めた。ずっと仰向けになっているのが原因だろうが、寝返りをうつと、「おしっこの管」がひっかかる。

ナースコールを押して、腰が痛いので「おしっこの管」を外してほしいと訴えるが、許してもらえない。めまいも何もないのに……先生はすぐに外していいって言ってたのに……。そしてベッドの上で身体を起こし、座っていたらまだマシかなと思っていたら、見回りに来た看護師さんに横になるよう注意された。そんなこんなでようやく夜が明けた。

やっと「おしっこの管」を外してもらう。立ちあがって歩いても、まったく問題ない。最初にトイレに行ったときは、管が入っていたところが痛かったけれど。すっかり元気になり、朝ごはんも完食。
それにしても、入院食はそれなりにおいしかったけれど、朝食はパンと小松菜のおひたしといった謎の取り合わせが多かった。

画像1

夜勤の看護師さんが、最後に胸の傷とドレーン(手術した胸に挿して血などを排出する管と、その排液を溜める袋)を確認する。と思うと、すぐに交代の看護師さんがやってきて、またも傷を確認する。すると、その次は病棟担当の先生もあらわれて傷口を診察する。そのたびにパジャマの前をあけ、胸バンドを外して、と結構忙しい(胸バンドはすぐにゆるんでずり落ちてくるので、息できへん!という寸前まで締めあげるのがちょうどよいとわかった)。これまでの人生において、こんなに多くの人が私の胸に興味を抱いたことがあっただろうか? いや、ない。

どういうわけか、胸の傷も不思議なくらい痛くない。生検をしたときは、しばらくのあいだ動くたびに痛かったけれど、いまは歩いても何も感じない。夜のあいだ、ずっと痛み止めの点滴をしていたからだろうか。

ドレーンを入れたポシェットをぶらさげてファミリーマートに行き、屋上庭園を散歩して部屋に戻ると、また看護師さんがやってきて、今度は髪の毛を洗ってくれるという。なんと有難い。
そのままシャンプー室へ行き、髪の毛を洗ってドライヤーで乾かしてもらう。正直なところ、最近の美容院のような上等な椅子ではなかったので、ちょっと首が痛かったけれど、それでも他人に髪の毛を洗ってもらうのは心地いい。

窓から淀川の堤防を眺めながら、入院も手術も二度と御免だと強く思う。
絶対に再発したくない。そのためには、いったいどうしたらいいんだろう? そもそも、どうして私はがんになったのか?という疑問も解消されていない。がんになった原因、再発するんじゃないかという恐怖、どちらも考えても仕方のないことだとわかっているけれど……

そんなことを悶々と考えていると、外来診察を終えた主治医の先生がやってくる。左胸の傷を見て、
「うん、大丈夫やね」と言ったあと、真剣な顔で右胸を指して、
「こちらを引き上げる手術をすると、釣り合いが取れるけど……」と言い出したときには、
「誰も気にせえへんから、もうええって!」と言いたくなった。

シャワーを浴びて夕食を終え、マークはどうしているのだろうか……と考える。父ヒロシが仕事の合間に私の家に寄って、ごはんとトイレの面倒をみているので、ごはんを食べていたとか、ちゃんとウンチもしていたとか毎日報告してくれるのだが、それでも心配でたまらない。
淋しがっていないだろうか? いや、淋しがっているにちがいない。これまでマークがひとりぼっちにならないよう、どこへ行っても急いで帰っていたのに。

♪はやくマークに会いたい、はやくマークに会いたい、大阪は夜の七時~と、心の中で歌いながらベッドに入った。

2021年6月16日

手術も終わって身体も回復すると、とたんにやることがなくなる。
持ってきた本を読みつつ、同室の人たちの会話に耳をそばだてる。乳がんや婦人科系の病気は30代や40代の患者も多いはずだが、同室の人たちは私より20歳近く年上のようだった。

隣のベッドの人は、主治医に「旦那さんじゃ話にならんから息子さんを連れてこい」というようなことを言われたと看護師さんに愚痴り、病棟の先生には付け届けをしたけれど、主治医にはしなかったと語っていた。(ところで、私は付け届けなんて一切していないのだが、するのがふつうなのだろうか?)

向かいのベッドの人は、研修医を捕まえて、「この病院も数年前とくらべて看護師の数は減ったし、入院食もまずくなった……」とえんえん話していた。(入院食については、「まずくなった」というより「固くなった」というのが不満のようだったので、失礼ながら、ご本人の加齢もあるのではないかと思ったが)
斜め向かいのベッドの人と話したところ、私の次の日に乳がんの手術をしたそうで、「あら、同じ病気? お若いのに……」と憐れんでくれた。

先生もまだ姿を見せないので、気分転換にオーディブルでアガサ・クリスティの "And Then There Were None"(『そして誰もいなくなった』)を聴く。
ご存じのとおり、孤島に閉じこめられた登場人物たちが、ひとり、またひとりと死んでいく。動揺する登場人物たち。まるで病院に閉じこめられた私たちのよう……と考えていると、先生があらわれる。いつも微妙なタイミングでやってくる。
「なになに、何聞いてるの?」とまたも聞いてくるので、皆殺しの話です、と言うのもナンなので、
「ただのオーディオブックです!」と必死にごまかす。

胸の傷を確認したあと、
「明日、ドレーンを抜けそうやね」と先生が言う。
「ドレーンが抜けたら退院できるんですよね」
「明日、ぼくはほかの病院に行く日やから、ほんとうなら金曜退院やけど……」
「明日、絶対に明日、退院させてください!」と頼みこみ、無事17日の木曜に退院が決定する。

マーク、待っててね! お姉ちゃんは明日帰るよ!!
外来患者にまじって外に出て、淀川の河川敷でマカロニえんぴつの「hope」を聞きながら歌っていたら、散歩をしていたおじさんに奇異な目を向けられてしまった。
マーク、またお姉ちゃんと手をつないで一緒に寝ようね!


↓↓↓サポートしていただけたら、治療費にあてたいと思います。(もちろん強制ではありません!)