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それっぽく書いたら、それっぽくしかならなかった

昨日の記事、海外ドラマのレビューみたいにそれっぽく書きました。投稿する前に「これ面白いか?」という声が聞こえたけど、「いやいや、結構時間掛かったし」と思ってそのまま投稿しました。

案の定、ビュー数は伸びない。だって、書いてて面白くなかったもん…

私は文章を書くのが本職でもないし上手でもないので、誰かに読んでもらえたり、スキを送ってもらえるのは、自分の熱量が分かってもらえたからだと思ってます。この気持ちを共有したいとか、吐き出したいとか、良いものだから手に取って欲しいとか。

昨日のnoteを読み返したら、とがってもないし、冷めてて、薄い感じがしました。海外ドラマが好きだと言ってるけど本当か?最近はそんなに好きじゃないのでは?と考えたりして。

実際、言うほど、今は海外ドラマへの熱量はないと思います。昔のようにTSUTAYAに行かなくても家でいつでも観れます。日常的に地上波のテレビ番組は見ないので、BGMのようにドラマを流し見してました。大切に消費していなかったから、観た分だけ好きが薄まっちゃったみたいです。

今回の経験で、私の場合、読み手を意識しすぎると表面的な文章になってしまうんだということが分かりました。それって、自分で書いていてもワクワクしないし、noteの良い部分が出せてないなーと感じてます。

でもね、やりたかったんです(笑)

これまで最初に書いていた「こんにちは、ヤモリです。今回は…」という文もそれっぽくしたくて書いてたと思うし、好きな映画やドラマについて一本ずつ記事を書いて、マガジンで綺麗に分けてそれっぽくしようと思ってました。

楽しく書きたいので、今は自分のために書こうと思います。いつかそれっぽい形でも楽しくnoteが書けたらいいなと思います。


せっかくなので、ここまでnoteを書いてきたことについて振り返って記録しておきます。

私はバリバリの三日坊主でして、最近の習慣で、ここまで毎日続いたのはnoteだけです。自分がこんなに文章を書くことを楽しめるとは思いませんでした。

それに、noteという環境がとても優れているのは間違いないですね。私が使っている機能はまだほんの一部ですが、それでも素晴らしさを感じています。

バッジとか自分の活動が可視化される機能が書き手の心をくすぐってくれるし、さらにスキを送る行為は、書き手と読み手を近くしてくれます。ただのブログだったらここまでは続いてなかったかも。

それに、毎日書くことで、自分に対する認識が変わってきました。思った以上に承認欲求が高いのか、自意識が高いのか、ビュー数とかスキの数が気になって気になって。恥ずかしいです(笑)

あとは、書いた内容に対する想いが強いほど、自分の行動が伴っていないことが実感できたり。まず、日常の思考や感情を自分の外に出すことで、自己認識がクリアになることが多くなってきたと思います。

他には、同じようなことを考えている書き手さんがいるとやっぱり嬉しくなりますね。自分の思い入れのある記事ほどスキがそれほどもらえないという事実も面白かったり。

間違いなく、今はnoteを書くことが好きです。

だから、日々、noteを運営してくださっている皆さんに感謝です。私の記事を読んでくださった方、スキやフォローしてくださった方も本当にありがとうございます。



サポートありがとうございます。