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ツノレイキとは

東京で映像ディレクターとして働いている
津野励木(ツノ レイキ)と申します。

流れに乗って、noteをはじめました。

1983年 映画好きの両親に間に生まれる。
1988年 父親がレンタルした「死霊のはらわた2」を観賞。虜になる。
1989年 幼稚園でのお絵かき帳に生首の絵とかを描いて心配される。
1996年 中学で英語の楽しさに目覚める。
2001年 18才、アイルランドに語学留学。
2004年 帰国後、なぜか鉄板焼き職人になり、ヤキソバを焼く日々。
2007年 空港での国際輸出入貨物を扱う仕事に転職。
2010年 ニューヨークの映画専門学校に留学〜映画会社インターン
2012年 NY国連本部で報道取材スタッフとして働く。
2013年 帰国後、フリーの映像ディレクターになる。
2015年 制作会社noadd Inc.の立ち上げメンバーとなる。
2018年 監督・脚本作品でSXSW Film Festivalに招待される。


まだ無名監督なので、自己紹介記事から始めようと思ったのですが、文字に起こしてみると説明なしでは謎多き経歴なので、ひとつひとつ追々記事にしていこうと思います。今回は、プロローグレベルで2つのことについて記録しておきます。

1、アメリカ映画最高

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↑唐突ですが、ニューヨークでインターンをしていた頃の写真です。
三角座りしてるし、全然楽しくなさそうな顔つきでこちらを見ていますが、本当はめちゃめちゃ楽しんでいます。僕は幼き頃から「退屈なの?」「機嫌悪いの?」と聞かれることが多々あるのですが、それは元から顔つきが悪いというだけです。というか、めちゃくちゃシャイな性格ゆえ、周囲の環境に慣れるまで、断続的に顔がこわばっているといった感じです。すごく楽しくても真顔だったり、逆にテンパっていても落ち着いて見えるらしいです。

話を戻して、インターン時代についてです。
NYでの映画専門学校留学が終わり、ビザの延長のためにインターンとして僕が門を叩いたのが、「Troma Entertainment」という世界で一番歴史の長いインディペンデント映画会社。日本でもわかる人にはわかる、カルト映画界の巨匠:ロイド・カウフマン監督が作った会社であります。
そのロイドが久しぶりに映画を撮るとのことで、当時インターンだった僕も撮影スタッフとしてロケ地(ど田舎)に送り込まれました。
完全DIYスタイルの撮影だったため、まともに宿なんか泊まれるはずもなく、廃屋葬儀場2ヶ月間、30人くらいで住み込みながらの撮影。
泊まり込み以外の現地スタッフをいれたら、もっと大人数になるのですが、その中でアジア人が僕ひとりだけでした。前述したように、シャイな性格も相まって初日の僕の人見知り挙動不審のレベルが尋常ではなく、精神が毎秒すり減っていくのが肌で感じられました。
そうやってドギマギしながら数日耐え、少しずつ少しずつ環境に慣れていきました。三角座りの写真は、ちょうど少し慣れてきて嬉しくなってる頃に撮られたものですね。
しかし、住み込み集団生活2週間目、心の余裕を掻き乱すこととなるある事件が起こり、僕の映画合宿に転機が訪れます。

↓転機が訪れた後の僕(写真右)

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「なにがあったんや」という感じですが、完全に打ち解けています。これに関しては、ここに至るまでのストーリーが濃すぎて今回は詳しく書けません。簡単に結果を言えば「シャイの限界点を突破して覚醒した」という話と、「めちゃくちゃ大変だったけど、映画作りを通して体験したアメリカは最高だった」という話です。
これは「アメリカでインディペンデント映画に携わった日々」として、また追々記事にしていこうと思います。


2、アメリカ映画祭最高

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年表にもあるように、現時点での監督としてのハイライトは2018年のSXSW(サウスバイ・サウスウエスト)Film Festival
に自身の作品が招待されたことです(上記画像は、右からプロデューサー、僕、プロデューサー、そして主演俳優のミネオショウさん。全員浮かれています)。作品名は「CRYING BITCH」ですが、女性を差別する内容ではありません。

これは、あくまでも現時点でのハイライトなので、もちろんもっと上に登っていかないといけないし、次回作の商業長編映画企画も進行中ではあります。ただ、ここで得られた経験や自信というものはインパクトの大きいものでした。 意外な人との出会いや、素晴らしい観客の反応、舞台挨拶でスベったプロデューサーの福谷、そしてアメリカのデニーズでステーキの焼き具合を英語で聞かれてテンパったプロデューサーの福谷など、今回は詳しく書く余裕がありませんが、簡単にいえば「映画祭を通して体験したアメリカは最高だった」という話です。
SXSWは、音楽・映画・インタラクティブの総合フェスなのですが、日本ではやたらインタラクティブ部門の印象が先行しすぎているのが残念だなという印象です。本来は、音楽。その後に映画へと発展したこの一大イベントの「映画部門」について、日本ではあまり語られていないので、そこもまた「SXSWの映画祭のほう」として追々記事にしていこうと思っています。



以上、自己紹介でした。

ツノレイキとは、アメリカかぶれな監督です。


*見出し画像は、特に記事内容と関係ありません。大好きなアメリカを離れる1週間前にゲーム屋で見つけた中古のバーチャルボーイです。





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