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沖縄戦から76年、今日は「慰霊の日」/【追記】元気なナツメロ・慰霊の日スペシャルの記録

6月23日、今日は慰霊の日。

太平洋戦争末期、20万人を超える人が亡くなりました。

そして沖縄では、4人に1人が亡くなった激戦区だったのです。

日本では8月15日が終戦記念日とされていますが、沖縄はその翌年、6月23日を「慰霊の日」とし、全国で唯一沖縄だけが公休日となっています。

なぜ6月23日なのか。

1945年当時、第32軍司令官牛島満中将と長勇参謀長が自決し、第二次世界大戦の沖縄における組織的戦闘が終結した事から来ています。

私は以前、その牛島満中将が自決した瞬間の写真を見ました。

それはもう、目を背けたくなるような写真。

ある人は、「見てごらん。牛島が自決した時の写真だよ。ここに飾ってるわけよ。」と、誇らしげに話していました。

そのお言葉を聞いて、どれほどの憎しみを持っていたのか、或いは時を経て憎しみをあらわにするようになったのかは分かりませんが、その光景が異様だった事を覚えています。

幼い頃は、慰霊の日が近づくと戦争のパネルが学校のあらゆる所に並べられるのが凄く怖かった。

戦争は終わったはずなのに、私自身、ちょっと特別な体質のせいで苦しむ事も多かったです。

沖縄は今でこそ、青い空に青い海が綺麗な観光地とされていますが、本来この沖縄で多くの人が悲しさと憎しみを持ったまま亡くなっていったのです。

私は高齢者にインタビューをして、戦争当時のお話しや戦前・戦後の話を聞き、各地で戦後の沖縄についての講演会もしています。

手榴弾を投げられ、子供の手がとび足がとび、もう息はしていないのに、その子を置いて逃げる事が出来なかった。

それでもその子をおぶって走る、逃げる、数日間飲まず食わずを続け、とうとう自分の命の為にその子を置いて逃げた。

その時の気持ちを泣きながら話す方も居ました。

そういったエピソードは、ここに書ききれない程たくさんありますが、このようなお話をしてくれる戦争体験者も年々減っているのです。

戦争と向き合う事は、本当に辛い。

調べれば調べるほど、その悲惨さを知り怖くなります。

それでも、戦争を生き抜いた人達がつないでくれた命のバトン。

この人達が居なければ、私たちは居ないのです。

私は高齢者と関わる事が多く、戦前・戦中・戦後のお話しを聞く機会が多いです。

だからこそ、戦争を体験した事の無い若い世代へ伝えていく、その使命があると思っています。

戦争は、人が人を殺してしまう。

例え生き延びたとしても、その人達の心までも殺してしまう。

もう二度と、戦争をしてはいけない。

そして、命のバトンをつないでくれた人たちのおかげで今の沖縄があり私たちが居るという事に感謝して、正午に黙祷したいと思います。

もう二度と、戦争が起こらないように。。。


2021年6月23日

山原麗華


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【 追 記 】

先週の、ラジオ沖縄『山原麗華の元気なナツメロ(爆笑)』では、慰霊の日スペシャルをお送りしました。

こちらの記事にまとめますので、ぜひradikoでお聞き頂けると嬉しいです。


★おかけしたリクエスト曲

1、青い山脈 / 藤山一郎

2、赤い山脈 / H2O華華

3、片手に三線を / ディアマンテス

4、さとうきび畑 / 森山良子

5、十九の春 / 本竹裕助・津波洋子

6、とんがり帽子 / 川田正子

7、野に咲く花のように / ダ・カーポ

たくさんのリクエストやメッセージ、ありがとうございました。


★いつか来た道

このコーナーでは、人生の大先輩にお話しをお聞きし、懐かしい昭和歌謡や童謡・唱歌をアコーディオンの生演奏でお送り致します。

今回は、戦争体験者の3名の方にお話しをお聞きしました。(過去音源)


★アコーディオン生演奏

今回は、三線で生演奏させて頂きました。

演奏した曲→ 月桃の花


★ラジオ寸劇

寸劇→ 【 音楽の教科書 】

今回は、私がある方から聞いたお話しを元に台本を書かせて頂きました。

おじいさんが戦争に行く前、好きな人とした約束とは…。
ぜひ、radikoでお聞きください。

曲→【 姫百合の歌 / 城間ひろみ・喜納昌永・比嘉盛保 】


前回の放送は、「慰霊の日スペシャル」と題し、戦争とは、平和とは、についてお送りしました。

ぜひ、radikoでお聞きください。

取材を受けてくださいました戦争体験者の皆様へ、心より感謝致します。


山原麗華



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