『村上春樹短編集』とシュール #読了
私は村上春樹を知らない。
正確には、作品名と少しくらいしか知らない。
読破したことも、映画化作品も、エッセイ集も未読だ。
(『海部のカフカ』と『羊をめぐる冒険』は気になっている)
理由はただ一つ
“わからない”からだ
世界観や村上春樹用語集が作られるほどに、難解な姿をして立ちふさがってくるからだ。
なので短編集に挑戦してみた。
そしたらシュールなおもしろさに溢れていた。
やったね。
お気に入りになった作品もいくつかある。
感想として3つご紹介させていただきます。
「渡辺昇」という男がいくつかの短編に登場する。
この男が、すきだ。
おもろい。
たとえば
【タイムマシーン】
というおはなし。
主人公がこたつでミカンを食べながらくつろいでいると、渡辺昇がやってくる。
「ちょいとお願いがあってうかがった次第なんです。実はお宅に旧型のタイム・マシーンがあるってうかがったもので......」
主人公はタイム・マシーン、なんていうワードに驚く。があえて表情には出さずに「あるよ。見てみる?」と中に迎える。
「ほら」
と四畳半に置かれた電気ごたつを見せ、それがタイム・マシーンだと言ってやった。
すると、渡辺昇は真剣な顔でこたつを隅々までチェックし始めた。
「こりゃ旦那、逸品ですよ。昭和四十六型ナショナルの『ほかほか』ですよ」
「うん、まぁね」
主人公は適当に応える。
渡辺はそれを、新品のタイム・マシーンと交換してくれまいかというので、主人公は承諾する。
そしてライトエースの荷台から箱に入ったままの新品の電気ごたつ(あるいはタイム・マシーン)と、ナショナルの『ほかほか』(あるいはタイム・マシーン)を交換して、渡辺昇は去って行った。
フフッってなっちゃいましたよ。
冗談で言ったはずのものが、真剣な顔で扱われ、それが冗談として機能していない。
まさしく“シュール”な空気が漂ってくる。
ちなみにこの男は他に、
・主人公の鉛筆削りをレア物だ!と言って譲ってもらう。アトムのシールがついたやつ。
・「先日のタコは美味でしたね!」と葉書をくれる。主人公は行ってない。
などしている。
【ビール】というおはなしも好きだ。
これには「オガミドリ」という女性が登場する。
本名を「鳥山恭子さん」という。
鳥山さんは二十六歳で、なかなか品のいい美人で、独身である。
東京学芸大学の国文科を出て、会社に入って四年になる。
胸が大きくて、フレア・スカートを好んではく。
原稿をもらうとき必ず「謹んでお原稿拝受いたします」と深々とお辞儀をするのでオガミドリさんと呼ばれている。
作家の人たちは鳥山さんに頼まれると、ついつい仕事を引き受けてしまうので、彼女は編集長に気に入られている。
「あれが教育、育ちというもんだよ。あれくらい上品は言葉づかいができるのがどこにいる」
ある朝に主人公は、鳥山さんに締切の関係で急ぎの電話をかける。
電話に出たのは彼女のお母さんだった。
「少々お待ちくださいませ。只今恭子を呼んで参りますので」とお母さんも丁寧だった。
ちょっとあとでオガミドリさんの、いつもと違う甲高い声が聞こえてきた。
「うっっっせえぇなぁぁぁ。なんだなんだ、まったく、日曜の朝から。にっちょおおびくれえゆっくり寝かせろよなあ、ったくもお。なに電話?もおおお、タカオだろうが、どうせ。ちょっととりあえず先に便所行くよ、そう便所。あんなの待たしときゃいいよ。ゆうべビール飲みすぎて、もうたぷたぷしてんだから。.......ん、タカオじゃないの。ええええ、やべえよ、それ。......まずいじゃんか。ばちばちに聞こえてるよ、これ」
もちろん主人公はすぐにそのまま電話を切った。
オガミドリさんが丁寧にお辞儀して原稿を拝受するたび、お公家さんの血筋を引いてるんだってね、と言う人までいる。
主人公はそういうとき聞こえないふりをして、ただじっと黙っている。
美しい人が『うっせえな』してるのっておもろいよね。
主人公はすぐに無言で電話切ったわけだが。
一番のお気に入りは
【動物園】
こういうコントが好きだ。
登場人物は男女カップル。その会話だけで成り立っている。
「ねえ、公一郎さん。あなたって変なヒト。すごおおおく、ヘン」
「別にちっとも変じゃありません。自分の中にあるこの意識というものが、この僕を僕として成立せしめているものが、(省略)」
「おちゃおちゃおちゃ」
「なんですか、そのおちゃおちゃおちゃというのは?」
「びっくりしただけ、ふふふふ」
「ねえ、須賀子さん、そんなことで人をからかってはいけませんよ。人間にはね、真面目にものを考えるべきというのがあるんです」
「ほらほら、牛さんよ。もおおおお」
「よしなさい。鼻にブレスレットなんかぶら下げないで。ねえ、もうお願いだから人前でそんなことしないで。ブラジャーを背中にまわしてラクダになるのもよしなさい」
「つまらないな、公一郎さんってユーモアがないんだもの。何も日曜日に動物園にデートしに来て、ヤスパースやらユングやらの話をすることもないでしょう。もっと面白いお話ししましょうよ」
「でもね須賀子さん、日曜日の動物園というものは、生命と意識について(省略)」
「ねえ公一郎さん。ほら、ヒラメ!」
「よしなさいったら。地面にぺしゃっとうつ伏せになるんじゃない」
「ねえ公一郎さん」
「なんですか?」
「そろそろペルソナの交換やらない?」
「いいですよ」
「ひひん、ひひん、オラァ馬の三太だ!どいつか一緒にどすこいしねえだか!」
「およしなさい、公一郎さん。馬鹿にするんじゃありません」
私の中に、永遠に忘れられない名作がまた一つ追加された。
私のイメージではラーメンズのコントに近いものがある。真顔でやって欲しいなぁ
村上春樹の小説には精神分析的なイメージ(無意識のイメージ)が多く登場する。日本のユングにおける偉人・河合隼雄との対談が描かれた共著もあり、深層心理のメタファーが散りばめられているという。
それ自体はすごく惹かれる。精神医学史、好きだし。
ただ、『TVピープル』という短編がいい例だが、“現実と無意識の境界が不明瞭”な世界観が非常に難しい。
果たして、いま自分が見ているのは現実なのか。
それとも、夢のイメージをみてしまっているのか。
はたまた、まだ夢の中にいるのか。
夢のほうが現実で、現実のほうが夢なのか。
もう、わっかんないや。
ただゼミの同級生が、村上春樹で卒論書いてた。きっといつかは自分も読んでみたくなるのだろうから、そのときまでヒラメごっこしながらどすこい!しておくことにするか。
馬鹿にするんじゃありません。
〆
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