見出し画像

AIはとても”賢い”のですが、「面白いか?」と言われるとちょっと微妙かも

ChatGPTが登場してから世の中が何かとざわついています。

さすがに「AIが人類を滅ぼす!」という話は大げさな気もしますが、知識を持っているという点や論理的に考えるという点では人間を超えているので、「ホワイトカラーが全員失業する」のは案外現実的な問題かもしれません。

さてこのChatGPTですが、当初は私もいろいろ”遊んで”みたものの、ここ最近は全く触っていないことに気づきました。どうやら私は早々と飽きてしまったようです。

確かにChatGPTに質問すれば大抵のことには答えてくれますので便利なのは間違いないのですが、回答内容を見ても「ふーん、そうなのね・・・」という感じで、「えっ、そんなことあるの!?」というこちらの予想の斜め上から回答が返ってくることはまずありません

まあAIの仕組みを考えればそうなるのは当然なのですが、要はChatGPTとの会話は「何でも知っている真面目な優等生」と話している感覚に近く、基本的には無難な言葉しか返ってきません。

それならばまだ自分で調べた方が”好奇心をくすぐる情報”にも触れることができ、時には「そういうこともあるんだ」という発見がありますので、なんか気になることがあってもわざわざChatGPTには質問しないというわけです。

もちろん前提として私が求めているのは「新たな発見」や「意外性のある答え」で、俗にいう「タイパ(タイムパフォーマンス)」は全く求めていないので「自分で調べる」という”効率の悪いこと”をするのですが、「余計なことはいいからすぐに答えを知りたい」という人にとってはChatGPTは大変有益なツールだと思います。

もっともAIもすごい速さで進歩しているのでそのうち意図的に「ナナメ上の答え」を出してくることもできるようになると思いますが、それでも何らかの「アルゴリズム」に基づいている以上、誰も予想できないような突拍子もないことを言うのは難しいのかもしれません。

例えていうなら「漫才のネタ」を教科書通りに作ってそれらしいものが出来上がったものの、いざやってみるとあまり受けない芸人のような気がします。

そんなわけでAIが進化することによって「豊富な知識を持つ優等生」は失業するかもしれませんが、「奇想天外なことを考える変人」はむしろより貴重な存在になっていく可能性もあります。

教育の世界でも今までは「正しい知識」をたくさん知っていることを重視してきましたが、これからはむしろ「(AIには再現できない)その人ならではクセ」を伸ばしていったほうがAI時代には求められるのかもしれません。

この先AIがどこまで進化するかはわかりませんが、個人的には「ターミネーター」の世界はご勘弁願いたいものの、「ドラえもん」のような「個性的なAI」ができるといいなと思っています。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?