人は経験を積めば積むほど、思い込みに囚われやすいと痛感しました
北京オリンピック開会式で聖火リレーのトーチをそのまま聖火台に差し込むという前代未聞?の点火式が行われました。中継のアナウンサーも「えっ!?」と叫んだように、おそらく多くの人が予想外の出来事にびっくりされたかと思います。
私も「中国だからきっとド派手な方法で点火してくる」とばかり思っていましたが、まさかそう来るとは1ミリも想像できませんでした。
この方法での点火?については「とても素敵」という人もいれば、「ショボい」という人もいるように様々な意見があると思いますが、個人的には今までのどのオリンピックの点火式よりも記憶に残ったことは確かです。
個人的な話で恐縮ですが。これまでオリンピックの開会式をたくさん見てきたからこそ、「最後は何らかの方法で聖火台に点火するに違いない」と決めつけて見ていました。
私は1984年のロサンゼルスオリンピックから夏も冬もほぼ毎回開会式を見てきましたが、そのおかげで以下のような「点火式フォーマット」が頭の中で固定概念としてこびり付いてしまいました。
最終ランナーはその国のスター選手か象徴的な人物
聖火台には何らかの演出がある
独創的な方法を点火する
まあこんなのルールがあるわけでも何でもないので点火式なんて好きにすればいいのですが、開会式を見るという経験を重ねたことで「点火式はこうあるはずだ」という思い込みが無意識のうちに出来上がってしまったのです。
そして今回はその全てが覆されましたが、「その発想はなかった!」と驚くとともに、自分が思い込みに囚われて物事を見ていたことに気づかされることになりました。
思い起こせば92年のバルセロナオリンピックでアーチェリーの選手が火のついた矢を放って点火するという離れ業をやってのけたときは余計なことは何も考えずに純粋に「スゲー!」という目で見ていました。
その時はオリンピックを見始めて数回しか経っていないので点火式に対する固定概念もなにもなく、映像の向こうの出来事を素直に受け止めていましたが、何回も開会式を見ていくうちにいつの間にか素直な目で見ることができなくなっていたのかもしれません。
経験を積んだからこそ得られるものもありますが、経験を積んだゆえの「思い込み」はなかなか自覚できないことですので、そういうことが自分にもあることに気づけたのは良かったと思いました。
オリンピックは始まりましたが、後は競技を純粋に楽しみたいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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