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オリンピックを見て「醜いところ」があるからこそ人間らしいと思いました

昨日もテレビで北京オリンピックを観戦していましたが、女子フィギュアスケートの最終滑走で渦中のワリエワ選手がまさかの展開になり、その後の選手とコーチのやり取りがまた衝撃的でした。

こんなゴタゴタの中で自己ベストを更新して銅メダルを獲った坂本花織選手の活躍は実に見事でしたが、個人的には今回のオリンピックほど色々な意味で人間の「光」と「闇」が露骨に表れた大会はなかったと思います。

いつもならスポーツの美しい部分ばかりがクローズアップされますが、やはり人間ですので「何が何でも勝ちたい」「ライバルには絶対負けたくない」「負けたら悔しい」というのは自然な感情です。

また応援する側もおそらくどこの国も「自分の国の選手にメダルを獲ってほしい」と思っており、国によってはそれが過熱してしまうところもあったりします。

もちろんルールに則って正々堂々勝負すればいい話ですが、勝負のルールは万国共通でも、勝負事に対する価値観、美意識は国または個人によって大きく異なりますので、「ズルするぐらいなら潔く負ける」を良しとする価値観があれば「どんな手段を使ってでも、どんな犠牲を払ってでも勝ちにいく」と考える選手やコーチが出てきてもおかしくはありません。

前者は人を感動させ、後者は人を憤慨させるのかもしれませんが、それも結局は見る側の価値観が反映されているだけだと思います。

期待に応えられなかった選手に厳しい言葉を浴びせる国もありますが、それもその国とそこに住む人たちの価値観が現れただけのことであり、それを「醜い」を捉えるのもまた別の価値観だったりします。

そもそも何をもって「正々堂々か」、何をもって「美しいか」は価値観にとって全然違いますので、私も含めて皆自分の価値観から好き勝手に言っているだけかもしれません。

ただ思ったのが、もし参加したすべての国、すべての選手が皆ルールをきっちり守り、必要以上に感情を爆発させず、スキャンダルも一切ないような大会であったら果たして見ていて面白かったのか?ということです。

不快に感じる場面や怒りを覚える場面はないかもしれませんが、勝者と敗者がいるだけで果たして感動する場面はあるのかどうか個人的に疑問です。

「闇」があるからこそ「光」が輝くように、欲、嫉妬心、怒りといった人間の醜い部分があるからこそ、魂を揺さぶられるような美しい場面に出会えるのかもしれません。

そんな筋書きのないリアルな人間ドラマが見られるからこそ、オリンピックは面白いと思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。




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