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簡単なことが「疲れる」という人もいる
フィットネス器具の中には「1日たった3分の運動で効果がある!」といったことを売りにしているものがあり、つい「このぐらいならできそうだ」と思って買ってしまいます。
しかし、いざ買ってみるとその「たった3分」がとてつもなく大変で、3分どころか30秒で疲れてしまい、結局は続かなくなってただの置物と化してしまうことがよくあります。
同じようなものに「1日5分の学習で英語が上達する」というのはありますが、これもその「5分間」が大変でなかなか続きません。
結局のところ、フィットネスも英語も簡単なプログラムでも「続けられる人」と「続けられない人」がいるのが現実です。
では「続けられる人」と「続けられない人」の差はどこにあるのか、もちろん「根性」という要素もあると思いますが、実は疲労度の違いではないかと考えています。
同じことでも疲労度は人によって大きく異なる
例えば、「活字の本を読む」という行為も、スラスラ読める人もいれば、活字を見るのも嫌という人がいます。
これは別に勉強が苦手だからといったことではなく、活字を読むときの疲労度の違いが原因にある思われます。
例えば私の場合、活字だけの文章を読むと脳が激しく疲れます。というのも頭の中で文章をいちいち映像に変換する作業が発生しており、その分のエネルギーを消耗します。
一方で活字の本を読むのが苦でない人に話を聞くと、文字の情報がそのまま頭の中に入ってくるそうです。
私の場合はいちいち映像に変換していますので、抽象的な言葉に遭遇するとそこで止まってしまいますが、本を読むのが苦でない人はわからない単語や文章があってもそのまま読み進めることができるそうです。
ちなみに本を読むのが苦でない人に対して伝えたいことを絵して見せると、「文章にしてほしい」と言われたことがあります。
そのため、本をスラスラ読める人が偉いというわけではなく、「本を読むのが疲れない人」と「本を読むのが疲れる人」は個性の違いとして考えたほうが良いかもしれません。
「疲れない人」を基準にしないほうがいい
人を育てるうえでよく陥る落とし穴が、多くの人にとって疲れないことを誰に対しても求めてしまうことです。
例えば、新人研修でよく「日報」を書かせますが、300文字の文章を書くのが全く苦でない人もいれば、たった100文字の文章でも疲れるという人もいます。
もし「300文字書け」と言いながら毎日100文字しか書いてこない人がいた場合、この人は「やる気がない」のではなく、実は「文章を書くのが疲れるタイプ」かもしれません。
本当にやる気の問題であれば、人事が注意すれば改善できますが、本人にとって「疲れること」であった場合、「何でちゃんと書かないのか!」とプレッシャーをかけてもこの人は精神的に追い詰められるだけで、結局はやらない可能性が高いです。
例えていうなら、疲れ切った競走馬がいくらムチで叩かれても走らないようなものです。
このような人がいた場合は無理強いをするのではなく、本人が「疲れる」ということを理解したうえで、無理なくできることを見つけてあげたほうが本人のためになるでしょう。
世の中には様々なタイプの人がいるので、Aさんにとっては苦にならないことでも、Bさんにとっては「疲れる」可能性があり、逆にBさんにとって苦にならないことがAさんは「疲れる」可能性もあります。
目に見えない「疲労度」の違いに気づくことができれば、苦しんでいる人に対して救いの手を差し伸べることができるもしれません。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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