「多様性」を尊重するなら「マナー」ではなく「ルール」が重要になります
今年の大型連休は3年ぶりに完全無制限になったせいか、どこもかしこも混んでいるようです。
私は有休を取って谷間の平日に旅行に行きましたが、それでも観光地のロープウェイに乗るのに30分近くは並びました。
もっとも連休の真っ只中は同じロープウェイの待ち時間が3時間という情報もありましたので、私たちはまだラッキーなほうかもしれません。
さてこれだけ人が多くなるとあちらこちらで「観光客のマナーが悪い問題」が出てきます。
・公共の場所でのマナー
・乗り物に乗るときのマナー
・食事するときのマナー
・見物するときのマナー
・温泉に入るときのマナー
観光地には日本全国から老若男女様々な人が来るので、「品行方正な人」もいれば「そうでない人」もいるわけです。
更に今年は外国人観光客も大幅に増えていますが、みんながみんな”日本のマナー”を予習してから来るわけではないので、日本人から見ると「マナーに反する行動」を取ってしまう人も一定数いらっしゃいます。
まあ同じ日本人でもマナーは徹底されないぐらいなので、外国人にマナーを求めるのは最初から無理な話かもしれません。
こんな感じで人間が多様になればなるほどマナーが守られなくなっていくのですが、逆に言えばマナーが守られるためにはその集団が同質な人間で構成される必要があるということです。
みんなが同じ感覚で物事を見ており、みんなが同じ物差しで善悪の判断をしているから「これはマナー的にはOK」「あれはマナー違反」というのが成り立つというわけです。
これが異質な人間同士になると「あなたにとってのマナーは私にはどうでもいいこと」になるので、やれ「それはマナー違反だ!」と指摘しても「そんなこと知るか!」とケンカに発展しかねません。
多様な人間がいるところに「マナー」を持ち出すと丸く収まるどころが余計揉めてしまうだけなので、ここはやはり「ルール」を明確に定め、「やってよいこと」と「やってはいけないこと」をはっきり線引きするしかないと思います。
その「ルール」もただ決めればよいというものではありません。
理不尽なルールを定めても人は守ろうとは思わないので、ルールはできるだけ合理的かつ納得できるものである必要があります。そのため「公正なプロセスでルールを決める」ことはとても重要になります。
観光地で言えば「何となく」でルールを決めるのではなく、「なぜそれをしてはいけないのか」ということを関係者で議論したうえでルールを決めるのが大切です。
次に「ルールを正しく知らせるためのコミュニケーション」ことも重要です。ルールが存在しても人々に認知されなければ守られません。
よくある話が職場で新しいルールが出来てもそれをただ一斉メールで流すだけで終わるので、多くの人はルールの存在を忘れてしまい気がついたときには形骸化しているということもあります。
職場でさえこれなので、観光地ならなおさらです。看板の隅っこに小さく注意書きをしても誰も見ません。
ルールを正しく知らせるためには誰でもわかるようなメッセージで伝える、強烈なインパクトで目に入ってくる、忘れないようしつこく告知される、といった工夫が必要かもしれません。
海外に行くとよく目立つ看板で「〇〇をすると罰金いくら」と書いてありますので、言葉は悪いのですが観光地なら「バカでもわかる」ぐらいの伝え方をしたほうが良いでしょう。
最後にルールを徹底するためには「取り締まり」が不可欠です。
ルールを破っても何も不利益がなければ、余程律儀な人でないかぎり真面目にルールを守ろうとは思いません。やはりルールを破った人間を決して見逃さず、相応のペナルティーを与える必要があります。
ただし、取り締まりだけ強化してしまっても逆効果で、人々は息苦しさを感じてしまうと今度は意図的にルールを破ってしまいます。
やはり重要なのは「公正なプロセスでルールを決める」ことと、「ルールを正しく知らせるためのコミュニケーション」であり、この2つを丁寧に行ってこそ人々はルールを守ろうという気になると思います。
まあ観光地の場合は細かいルールをたくさん作っても楽しめなくなるので、「本当に守ってほしいこと」だけをルールとして定め、あとは「何でもOK」にしたほうが良いかもしれません。
「よそ者」を含めて色んな人が来るから「観光地」であり、観光客が多様性に富んでいるほどそこは魅力的な観光地と言えるので
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