見出し画像

「天才」と「普通の人」と「問題児」の違いは優劣ではなく「個性のバランス」

人材育成の仕事をしていると、ごくまれに誰もできないことが簡単にできてしまう人に出会うことがあります。一方で、誰もができることが全くできない人もたまにいらっしゃいます。

前者は周囲から「天才」として賞賛され、後者は周囲から「問題児」扱いされますが、一通りのことが普通にできる大多数の人はあくまで「普通の人」として扱われます。

「普通の人」から見ると「天才」は自分より優れた存在に見え、「問題児」は劣った存在として見えるかもしれません。もしこれらの違いが能力の優劣であれば、訓練にとって補うことができるはずですが、残念ながらいくら頑張っても「普通の人」が「天才」になることはほとんどありません。

そこで、一つの仮説として「天才」か「普通の人」か「問題児」は能力的な優劣ではなく、あくまで個性のバランスの違いであると考えてみたいと思います。

個性のバランスとは

世の中には話すのが好きな人もいれば、話すのが嫌いな人もいます。これはあくまでその人の個性であり、別に良い悪いはありません。

程々の話し好きであれば、誰と話しても相手は何とも思いませんが、極端に話し好きの人の場合、相手によっては「鬱陶しい」と思われる可能性があり、逆に極端に話し嫌いの人の場合、相手によっては「つまらない」と思われる可能性があります。

このように、何事においても程度というものがあり、例えば「集中力」という要素も適度な集中力であればよいのですが、極端に集中力が高いと周りが見えなくなり、極端に集中力が低いと何も手につかなくなります。

これをレーダーチャートで表現してみると、あらゆる項目が平均値に近いスコアで揃っているのが「個性のバランスが良い人」になります。

画像1

おそらく実際にこういう人はいないと思いますが、すべての項目(人の個性を表す項目は無数にありますが)が平均値に近いという人は一切の欠点がない「究極の普通の人」と言えます。

一方で、世の中には無言での作業なら何時間でも集中していられるが、人と話すと1分でも疲れてしまうようなバランスが悪い人もいます。

このような人は下図のようにレーダーチャートがものすごく歪な形になり、ある項目は突出しているが、ある項目は平均よりも大きく下回っているということがあります。

「天才」も「問題児」も実はこのバランスが悪い人ではないかと考えています。

画像2

「天才」と「問題児」は場面が変われば入れ替わる

さて、世の中を見てみると「普通の人」はいつまでも「普通の人」ですが、「天才」と呼ばれる人は場面が変わると「問題児」になってしまい、「問題児」だった人が場面が変わると「天才」になることはあります。

そこで考えられることは、個性は場面によって強みにも弱みにもなるということです。

例えば極端に話し好きの人がいたとします。この人の「話す力」は平均よりも大きく上回っており、いくら喋っても疲れません。そのため、「コメディアン」のように人前でたくさん喋るような仕事に就いた場合、この人は強みを発揮することができるため、「天才」として認められる可能性があります。

画像3

しかし、この人は自分が喋るのは大好きな一方で、人の話しを聞くのが大嫌いであり、「話を聞く」という項目は平均よりも大きく下回るのかもしれません。

この人に「カウンセラー」といった人の話を聞くことがメインの仕事をやらせると、相手の話しを全然聞けないため、失格のレッテルを貼られる可能性があります。

画像4

ここまでの話をまとめると、個性のバランスが良い人は突出したことができない替わりに、あらゆることを問題なくこなせる人であると言えます。「普通の人」であるということはそれ自体が大きな価値でもあります。

一方で個性のバランスが悪い人は場面によって「天才」にも「問題児」にもなります。ある意味、うまく扱えば大活躍する可能性はあるものの、扱いにくい人でもあると言えます。

このように、人を絶対的な優劣で考えるのではなく個性のバランスの違いとして考えると、どのような人にも活躍できる場面があるはずです。

職場に「問題児」が居たとしても、見方を変えてみると意外な強みが見えてくるかもしれません。

今回もお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?