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3ヵ月で70箇所、200人と働いて知った200通りの生き方。

およそ3カ月前、こんな文章をnoteで公開した。

クリエイターの私が 1ヵ月で18の日雇いバイトを体験してライスワークに必要な環境を徹底的に考えてみた。

私が“働く”上で苦手なこと。

それは固定の時間に毎回固定の場所で働くことや、インターン時代に重圧で身体を壊した経験から段階を追うごとに責任が重くなること。

こうした苦手な点を「日雇い」という就業形態であれば、自分で就業時間や場所を選択できること、初回”という肩書きによって周囲の期待値を低くできるこでカバーできると考え、行った大実験。

想像以上に「あの記事面白かったよ」と言っていただけることが多かった。

そして実はこの話には続きがある。あの後も2か月ほどかけて、3ヵ月で計70箇所近く、合計200人の方と一緒に働くという経験をしていたのだ。(1箇所につき、平均3名と毎回新たに仕事をしたと想定)

200人。

例の歌になぞらえれば、小学校1年生が1年間で作る友達の人数の2倍と言える。

ただでさえ初めましての方と会い“続ける”のはあくまで私の場合だが、体力を消耗する行為。それでもこれだけの人と一緒に働いてみたかった理由は大きく2つある(とはいえ、結果的にこの人数になっていたというのが実は正解だが笑)

1つ目は働く上で自分はどんな人と相性がいいのか。働くことへの怖さを極力感じずに働けるのか、を知りたかったこと。

そして2つ目は「誰かの人生の選択肢を広げる」という自分のビジョン。それに対して、どんな人がどんな場所で。そして何を思い生きているのか、可能な限り多くの人生に触れたかったのだ。

もちろん業務がメインなので全員と深く話したわけではない。だが、一部の方とは何度かご一緒出来たり、ゆったりとした労働環境であれば比較的話をしやすかった。

そのため、今回は印象に残っている200人中4名の「生き方/働き方」をお伝えできればと思う。(個人を特定できないよう、できるだけ抽象的な表現を用いて執筆している)

■清掃アルバイトで出会った、肉屋で働くのが生き人生の甲斐なおじいちゃん

そのおじちゃんとはマンションの清掃アルバイトで出会った。

クリッとした目をしていたおじちゃんは、少し小難しい「おじいさん」というよりも「おじちゃん」という愛称がぴったりな方だった。

何度か入った清掃のアルバイト。
そのうち、3回目の出勤のタイミングだっただろうか。何やらおじちゃんがすごくワクワクしているように見えた。

土曜日とあって、午前のみの勤務だったこの日に午後から何か予定があるのだろうか。

そう思った私は

「この後、何か楽しみな予定でもあるんですか?」

と尋ねた。おじちゃんは、その瞬間笑顔になり。

清掃バイト用の格好の下に着たYシャツとネクタイを見せながら言った。(なぜ肉屋でYシャツとネクタイかは不明。おじちゃんなりの正装?)

「この後は肉屋でアルバイトなんだ」と。

あまりにも嬉しそうな様子に、もう少し話を広げようと肉屋のアルバイトの開始時刻を尋ねると、なんと清掃のアルバイトが終わった1時間後から始まると言う。

電車移動や昼食の時間を含めると、ほぼ休む間もなく労働をすることとなるはず。それでもおじちゃんは嬉しそうに話した。

自分の家が元々肉屋だったこと。今は実家の店は閉めてしまったが、雇われの身として肉屋で働いていること。

50年以上、肉に携わってきて。肉に携われることがそれはそれは楽しくて仕方がないこと。少し部位を見ればどこの肉か分かるんだと嬉しそうに、少し得意げに話してくれた。

おすすめの焼肉屋さんを、しまいには働いているスーパーまで教えてくれ

「お肉美味しいからさ、いつか来てみてね」と話してくれた。

ライスワークを清掃のアルバイトで。
とびきりのライフワークを肉屋で。

嬉しそうに肉トークをするおじちゃんを見て、何も1つの場所での労働にこだわる必要はないんだなと新しい生き方を知れた気がした。

■水道が止まりお風呂に入れないほどだったが、2か月後に倉庫作業の社員となると決めた30代男性

その男性とは、倉庫作業の日雇いで出会った。

何度か勤務した倉庫作業でのアルバイト。私が初めて入った1月某日に、彼は既に10回以上もこのアルバイトに入っていると言った。

慣れた手つきで倉庫の資材を梱包したり、作業を行う様子に社員の方々も“手際がいいね”と口にするほどだった。

私を含め、他のアルバイトの方が作業で手間取ると指導役となってくれたのもまた、彼だった。

しかし、そんな彼に近づくと独特の。言葉を選ばずに言えば、すえた匂いがすることに気が付いた。

とはいえ、個々特有の体臭なんだろう、と特に彼の状況について考えるはずもなかった。

しかし、後に別の日に作業に入った際、他のアルバイトの方から「水道が止まっていてお風呂に入っていないらしい」という事実を知り、衝撃を受けた。まさかそこまでとは思いもよらなかった。

何か彼なりの事情があったのだと思う。

そして何日か後、シフトに入った際に社員の方々のシフト表にふと目をやると彼の名前があった。彼が、アルバイトではなく社員として倉庫作業の一員となることを知った。

その日以降、倉庫でのアルバイトに入ると、彼は”社員”としてその場を取り仕切ったり、作業をしていた。

水道が止まり、お風呂に入れていなかったあの頃と比較すると、社員になった彼は格段に笑顔や口数が多いように思った。

他のアルバイトの方に言われるまで知らなかった彼の事実。きっと、見えない形でこうした状況にある人は多いのかもしれない。

そんなことを思った。

■勉強の息抜きと休憩がてら、ピッキングのアルバイトをする浪人生の男の子

とあるセンターでのアルバイトの日。

何度か入ったそのアルバイトでは、基本的に私が1番若いことが多かった。

多くは定年を迎えた方々。他には、長期休み期間であれば本業の学校給食を作る仕事がないから、と働きに来ている人もいた。

そんな中に、ある日私より5つほど年齢の若い男の子が来ていた。

黙々とピッキング作業を行う現場ゆえ、誰かと会話を交わしたり互いの私生活や私情に干渉し合うような現場ではない。(何者でもなくいられるのが私には心地よくて良かった)

だからこそ学生の年齢の彼が何者で、どんな理由でその場にいるのか特に気に止めてはいなかった。

しかし、ある日の作業では業務量が少なく一旦休憩する場面があった。一休みのタイミングで現場の方が彼に「学生?」と聞いた。

「えっと、自分は浪人生です」と彼は答えた。

そこで現場の方と彼の会話は終了した。しかし、私は彼の横にいたこともあって「宅浪ですか?」と尋ねてみた。(今考えたら、その場所に来る理由が塾の費用に関わるかもしれない中で、少し失礼な質問だったかもしれないと思う)

「いや、塾に行っています。これは、気分転換っていうか自分のお小遣いは自分で稼ぎたいなって」

実は私は兄が大学受験時に1年間浪人をしている。
朝から晩まで勉強をしている姿を見て当時の私は「絶対真似できないよ…」と思っていた。

しかし、いくら気分転換や自分の小遣いの為とはいえ“働く”というアクションを勉強に加わえている彼。ただただ脱帽の思いだった。

とはいえ、苦しみながらの作業というよりはむしろ。力作業やピッキングは彼にとって新鮮な作業だったようで、人一倍動いてくれた(ように見えた)

「経済学部に行きたくて。現役時代も一応受かったんです。だけど、もっと上に行きたくて」

一応受かったんですけど、を強調して言う姿がなんとも可愛らしかった。

きっといつもは酷使している頭、その日はきっとピッキング作業で身体を酷使した事だろう。

頭も身体もどうかほどほどに休めて、来年は楽しい大学生活を送ってほしい。謎に人生の先輩ぶって思ってみた。

■40代目前にして教師を辞め、単身上京して学芸員を目指す女性

その女性との出会いは、とあるギャラリーでのアルバイトでのことだった。

これから活躍の幅を広げるイラストレーターの方々が展示をする場。業務としては、彼らの作品をまとめた冊子を献本するための梱包作業が主だった。

イラストと文章は別ジャンルといえど、自己表現の手段という点では近しいものがある。それが私自身の活動の何か参考にでもなればと思い、申し込んだ。

そこで副業として仕事をしていたのがその女性だった。

2人きりで数時間の作業だったこと。彼女の雰囲気が柔らかく話しやすかったこと。梱包作業の中で、あれこれと人生や仕事についての話をした。

40代目前という彼女は、昨年初めて上京してきたという。それまでは10年以上もの間、小学校の教員をしてたそうで。

そんな過去が彼女の柔らかい雰囲気と一致して、なるほどと思ったのを覚えている。

そして聞いてもいいものか、とも思ったがなぜ教員を辞めたか尋ねてみた。

「40歳になると、もう辞められなくなってしまうと思った」

彼女はそう答えた。

そして、「公務員は安定しているけれど、40歳を過ぎてしまうとそれ以外の人生が選択できないような気がした」と続けた。

「辞めるの、怖くなかったですか?」
「ずっと、同じ人生の方が怖かったかもしれない」

単身上京、それも知り合いがいる地域では決してない場所へと移ること。

それも外部的要因によるものではなく、自分自身の意思による行動。私だったら足がすくんできっとできない決断だと思う。

彼女は現在は、本業を持ちつつギャラリーでの副業をする傍らで学芸員の資格獲得に向けて勉強中だと話していた。

もともと、美術やアートに興味はあったけれど、美術館の求人は学芸員の資格が必須である事が多いのだという。

柔らかいけれど、芯のある。そんな彼女と働いて、怖いもの知らずの今の自分が15年先も何かを“辞める”あるいは“始める”という大きな決断を出来るだろうかと未来について少し考えた。

願わくば、変化を恐れないで生きて欲しい。

そんな風に未来の自分に思いを馳せながらその日の帰路についた。

200人と働いて、誰が印象的だった?と聞かれて思いつく4人の「生き方/働き方」について少し描いてみた。

そして描きながら、自分の人生についても考えてみた。

私はこの先、誰の人生のどんな部分に感化されるのだろう。

誰かの人生の、どのタイミングと交わる機会があるのだろう。

その瞬間、私はどんな感情になるのだろう。

500万人いれば500万通りある人々の人生をもっと知っていきたい。そしてそれを描くという手段を以て、また誰かの人生の小さな道しるべにしたい。

地球に舞い降りて24年ごときの小娘が生意気にもそんなことを思ってみる。

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