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【短編小説】7時11分、清澄白河行き。恋に恋以外の名前があるとすれば。

7時11分、清澄白河行き。
6両目の3番ドア。

7時37分に神保町駅に到着するこの電車。私は決まって最寄りの桜新町駅から乗車する。8時5分の予鈴に、駅からの徒歩10分を含めてもまだ余裕で辿り着けてしまうのだから、あと1-2本後の電車だって別に構わないのだけれど。

隣駅の高校に通う彼もまた私と同じようにこの電車に乗車するのだ。神保町駅の1駅手前、九段下駅の高校に通う彼。彼は私の乗る桜新町駅の2駅隣、三軒茶屋駅から毎朝乗車する。

たった2駅。けれど、急行の停車する三軒茶屋と、せいぜい準急までの桜新町ではきっと停車する電車の本数が違う。急行に乗って少しでも早く学校に到着するのか、はたまた少しでも空いている電車で学校に向かうのか。そんな2択が選べてしまう世界線に住んでいる彼。理由は分からないけれど、幸いにも後者を取った彼の選択を嬉しく思った。

高校3年生の私が、初めて彼を見かけたのは高校2年の初秋だった。本格的な冬の寒さが訪れる直前の気温だったその日、私は運よく座って通学することが出来た。駒澤大学、三軒茶屋、池尻大橋。渋谷駅に近づくにつれて重くなるこの電車に朝から座れる日は少し運がいい。

普段は7時16分か21分か。ギリギリ予鈴に駆けこまなくて済む電車に乗るところを、朝礼で古文単語のテストがあるからと少し早めの電車に乗ったのだ。正直昨日から慌てて見始めた単語帳に載った文字列を気持ちばかりに覚えるために。

鞄から単語帳をつまみ出し、ついでにポケットから今年初出しのカイロも一緒に取り出す。“今から覚えてもさあ…”という気持ちも相まって心ここにあらずに開かれた単語帳。悲しいことに持ち主の視線は駅に到着する度、入れ替わり立ち替わりする車内に注がれていた。

ぼんやりと見渡した車内で、彼が目に入った。制服を見て瞬間的に隣駅の高校だ、と認識した。到着までに30秒程しか違わない九段下と神保町を、わざわざ2駅に分ける必要があるのか、と思いながら通過する駅に通う男の子。だけど、彼の姿が際立って目に入ったのはきっと、私と違って彼が“真剣に”英単語帳を見ていたからだった。

ボアのネックウォーマーと少し大きな鞄。きちんとした目つきと佇まいで単語帳を見つめる彼に、私の手元の古文単語帳は私の手を埋める『何か』以上の機能を持たなくなってしまった。凛とした彼の立ち姿に目を奪われているうちに、あっという間に九段下駅に到着した電車は、やはりあっという間に神保町駅に到着した。

2駅に分けたことで生まれる30秒をもどかしく思うくらいには、既に彼に心を奪われていた。学校まで徒歩10分の道のりも。予鈴までの15分以上の時間も。慌てて覚えた古文単語を紙に急いで書き写す時間も、ホッカイロが冷めてしまってもまだ頭の中には彼が残っていた。

女子校に通う私にとって、異性と交流する機会は自発的な何かがないとほぼ皆無。クラスメイトの中には、彼の通う高校を含め、男子校の文化祭に“繰り出す”人もいたけれど、そういったことは私とは無縁だった。小学生の時にあまりにもあどけない“恋”をした経験はあった。“両想い”ではないけれど。だけれど、中学から女子に囲まれて思春期の複雑な感情を沢山経験するうち、すっかり埋まってしまっていた感情。

そもそも、凛とした姿と単語帳への真っ直ぐな目線に心奪われただけとしか言えない“コレ”が果たして“恋”なのかどうかよく分からなかった。

だけど、彼を初めて認識した日から、決まって私は7時11分、清澄白河行き、6両目の3番ドアに乗るようになった。

電車の時間なんて正直、16分発でも21分発でも支障がなかった私の生活に、それ以外の電車に乗ることは大いなる支障をもたらす理由となった。6時55分に自宅を出発すれば間に合う電車に6時57分だと結構ギリギリ。たかが2分の違いをこんなにも意識させるほどの気持ちを彼に対して抱いた。

座れても、座れなくても手元を埋める単語帳やら本を開く。三軒茶屋駅に停車をする時、チラッとドアの方に目線だけやる。あくまで顔は手元の書籍にあずけたままで。“今日もいるかな?”と見つめた先に、ほぼほぼ彼は乗車した。そして決まって英単語帳を取り出す。

電車が混み始めるとサッと鞄に単語帳を滑らせて凛として立つ。立っている先が、電車を降りる別の乗客の通り道になると分かると、すっと一度電車を降りて、再び乗車した。席が空いても、座ることはなく再び熱心に単語帳を開いていた。そして開くだけではなくて、読んで覚えていた。

高校2年生の私より年上なのか、年下なのか。それとも同い年なのか。一度、同じ電車に後から乗ってきた彼と同じ高校の制服を纏った人が、彼に小さく丁寧に会釈する姿を見た。同い年か年上と分かった。

冬が深まって、ボアのネックウォーマーの日とマフラーの日がある事を知って。きっと鞄の張り方から察するに、部活のある無しなんじゃないかなと思った。ネックウォーマーをつけて部活に励む彼を少し見てみたいような、くすぐったい気持ちになって。2月になっても部活動のある気配から、きっと同い年なんだと嬉しくなった。

春休みを迎えて、何だかんだ会えない日が続いて。だけど、美術部の課題をしに行くために午後の電車に乗るばかりだったから、休みが明けても同じダイヤの電車に安堵した。そして、7時11分に桜新町駅を出発する電車が、三軒茶屋で彼の姿をひろった時に一層安堵した。

4月、私と彼は同時に高校3年生を迎えた。

コートを着ていた私達の服装が、セーターで済むような陽気になった。さらに、セーターがベストで丁度良い季節になって。腕まくりをしている彼のワイシャツはピンとして、そして彼と同じように堂々としていた。

勿論、彼はきっと私の存在を認識していない。神様がとっておきのご褒美をくれて認識していたとしても、私と同じ気持ちでいるなんてそんな訳がない。

言葉を交わしたこともない彼。それでも、ほんのりと温かい感情を抱いた。周囲にそういった対象がいないから、その感情に浸りたいだけだったのかもしれないけれどそれはそれで良かった。それだけで、心が少し飛び跳ねるから。冬はほっくりしていた心が、春になるとぽかぽかするから。

女子校と言っても、そういう相手がいる子は勿論何人かいた。私のいる4人グループの中でも、特に仲が良くて。3人から1人選んでと言われたら間違いなく選ぶその子にも相手がいた。時々、お弁当の時間に聞くその子の惚気話や喧嘩話。他の2人が『彼氏いーなー』なんて言いながら恋バナをした。私も『いいな~』と口は動かして声を発したけど、その人については仲良しの3人にも打ち明けなかった。仲良しの3人だからこそ打ち明けなかった。

別にその人と、どうこうなりたいとかじゃない。電車だと30秒、歩けば7-8分の距離を、朝一緒に九段下駅で降りて登校したいわけでもない。何かの間違いで、運よく会話を交わせたとしても鞄がぶつかって“あ…ごめんなさい”だけできっと精一杯だし十分すぎる会話だと思った。

ただ、7時11分清澄白河駅行きの電車に遅れずに乗る。手元に広げた単語帳に顔も目線も落として到着する三軒茶屋駅。彼が乗ってきたのが見えたら、時折、目線だけ彼に向ける。整った横顔と凛とした立ち姿にきゅんとして、心が跳ねる。それで十分だった。

世間からしたらきっと、恋に満たない気持ちで。
だけど私を満たすには十分だった。

誰に打ち明けるでもなく、変化するわけでもない私と彼の関係性。ベストの季節も終わって、半袖の季節を迎えた。散々脅されている“受験の天王山”も目前だった。

別に付き合ってもいないし、受験生の夏だからと別れることもない。それでも、夏休みに彼に会えないことは少し寂しくて。井上苑子の線香花火を聞きながら時々、そんな気持ちを消化した。

軽く眩暈を起こすほど忙しなくて、むさ苦しかった天王山とやらを超えて。9月1日を迎えた。彼はやっぱり同じ時間に同じ電車に同じ駅から乗ってきた。私はその姿に安堵しながら、時折目線を引っ張られたけれど。同時に夏を終えて本格的に意識しだした“受験”の2文字が私の目線を目の前の単語帳に引き戻すことも増えた。

そして、受験を迎えることはすなわち卒業が近づくことも意味した。

関係を進めたいわけでもない。話しかけて、何かが起きてほしいわけでもない。今のままで、両想いじゃないままで丁度いい。だけど。だとするならば、それは卒業と同時にこの気持ちに、この電車に乗る意味に終止符を打つことだと気が付いた。

その気持ちや関係性に終止符を打つのは、きっと恋愛特有のこと。そして、私の場合は卒業と共に必然的にその瞬間が訪れる。この電車で彼に会わなくなる、その瞬間が訪れるのはその時だ。

再び肌寒い季節が到来し始めて、彼もその季節を実感し始めた。今年はずっとマフラーだった。

一度だけ彼の声を聞いてみたい気もしたけれど、やはり同じ電車に乗る以上の事は求めなかった。私が電車に乗る。2駅先で彼が乗車する。電車に揺られる。参考書の隙間から、凛とした彼の姿を見つめる。彼が電車を下りて、30秒後に私も降りる。友達の彼の話を聞いて、私は頭と心でその人のことを思い出して少しきゅんとする。それで十分だった。

そしてマフラーだけじゃ到底太刀打ちできそうにない冬が真骨頂を迎えた先、あまりにも長い受験が終わった。

それは嬉しいことであり、少し苦しい気持ちでもあった。あの電車に乗る意味が消えてしまう瞬間が目前に迫っていることを心は素直に感じ取っていた。

彼の高校の卒業式の日は分からない。私より少し前かもしれないし、私より少し後かもしれない。だけど、恋に満たないぎゅっと詰まったこの気持ちに確実に打たれる終止符。外部的に終わりを迎えると同時に、内部的にも終わりを迎えないといけない。

迎えた私の卒業の日。
7時11分、清澄白河行き。
6両目の3番ドア。

私より後に向かえて欲しいと願った彼の卒業の日。
神様は最後に意地悪をしなかった。

2駅先で乗ってきた彼は、小説を開いた。私の手元にも、もう単語帳はなかった。お互いが受験を乗り越えたことを実感した喜びと、同時に訪れる悲しい気持ち。心の中で“ありがとう”と呟いて、九段下駅で静かに目を閉じた。30秒後に目を開いて私は卒業の時を迎えた。

誰にも打ち明けなかった気持ち。だけど、確かにあった気持ち。特に変化しなかった関係性。世間からしたら、恋と呼ぶにあまりにも微々たる気持ち。
それでもあまりにも尊いこの気持ち。恋に恋以外の名前があるとすれば。私はこの気持ちを。彼へのこの気持ち何と呼ぶだろうか。

大学生になった私は時折、ふと考える。

※大いなるフィクションです。

最近、とある高校の最寄り駅で在校生の帰宅時間に遭遇しました。恐らく(というか間違いなく)共学校で。席に座った女の子3人組のうちの1人の子が、友達と話しながら時折、目の前にいる同じ高校の男の子を何度かチラッと見ていることに気が付きました。もし“その気持ち”だとするならば、それはとてつもなく尊い気持ちだと思いました。

大学で同じサークルの友人が先日、入籍したことをSNSで報告していました。先輩の入籍や結婚報告のお便りがちらほら届く中で、身近に仲の良かった同い年の友人の報告は初めてで。ほわんと温かい気持ちになりました。“その気持ち”が形となる事もまた、尊い事だと思いました。

しかし、籍を入れずに“パートナー”として、一緒にいることを選んだ知り合い。互いに相手がいても相互の理解があれば他の相手とも関係を持つリレーションシップアナーキーを公言する知り合い。5年以上付き合っている彼がいるけれど、結婚に同棲の未来はまだ少し先がいいと考える友人。“この気持ち”のあり方は決して一辺倒ではありません。もしくはこの気持ちを抱かない事もあるかもしれません。

何かを執筆する立場であること、自分より年齢が少し上の方とお話しする機会が多いこと。有難いことに、恋愛にいろんな形がある事を知れる環境に身を置けています。そんな中で見た、帰宅時間のとある高校のあの子のすごく素直な目線。愛おしい気持ちになりました(誰)

残念ながら女子校だった私は、同じ高校でそういった目線を向ける相手がおらず。自分に置き換えた時に“もしこの気持ちが起きうるなら?”と考えたら唯一男の子と接点があるのは電車の車内でした。なので舞台は電車の車内。ふふ。(とはいえ永遠に女性専用車両に乗り続けていたのでこれまたこの設定通りのことが起きることはありませんでした。くぅ...)

あの子のように素直な目線。その気持ちが形になる事。そして、この物語の主人公のように、気持ちに終着地がなくても。そして、その気持ちのあり方がどんな形でも。誰かに対して想いがある事は、例え恋に満たない気持ちであっても尊いことだと思いました。

恋に恋以外の名前があるとすれば。それはどんな名前なのでしょう。なんと名付けたくなるでしょう。

まだ“高校時代”が5年前におさまるうちに。この作品を執筆できた事を嬉しく思います。本日もお読みいただきありがとうございました。

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