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小説「始発に乗る人々」を執筆致しました。

2022年、5月。

書籍『れいちゃんのぼっち飯』の完成した月です。

そして同時に“れいちゃんのぼっち飯”の屋号が
この世に誕生した瞬間でもあります。

計340ページに及ぶ書籍が
自宅に郵送され、本を手にした時。
思わず泣いてしまいました。

3月に大学を卒業した私。

周りは社会人として歩き始めているのに、
まだ社会に出られない自分。アルバイトも
1日3時間、月3回行くのが精一杯な自分。
(月収1万円、ですね)

何やってんだよ、と思う気持ちで
自分を嫌いになりそうでした。

そんな中、少しずつ描いていた
書籍が完成した瞬間。人生で初めて、
誰の為でもなく自分の為に、何かを1から作った
初めての経験でした。

そして、あれから2年が経ち。

書籍として形にする2つ目の作品、
小説「始発に乗る人々」が完成いたしました。

あの時と少し違うのは、完全に
自分の為だけでなかったら良いな、と思うところ。

烏滸がましいけれど、誰かの心の中の
“なんか、ちょっと楽になったな”に繋がったら
良いななんて、思っています。


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【始発に乗る人々】

日付が変わりようやく2人の心が落ち着いた時。
「別れよう」が「別れる」に変わることが決まった。

お互い始発で帰ろうか、と泣きながら優しく
切り出す健永を見て、これが最後の会話になるんだと思った。

走馬灯のようにこれまでの思い出が蘇る。

−大橋琴(24)の場合

冬の始発の車窓から見える景色は真っ暗だ。

昨日と今日の境目を実感しきれず、
まだ「今日」という時が「昨日」という時の中を
彷徨っている時間帯に私は学校へ向かう。

私が始発に乗るのは、7時半から始まる
部活の朝練前に自主練をする為だ。

−倉持紬(18)の場合

大切にするのは〈今、目の前〉だね。
最後の始発、という
不思議な感覚に身を委ねて深呼吸をする。

大丈夫。
きっと大丈夫だ。

ここから、
この始発からまた始めればいいのだから。

−遠藤莉子(37)の場合

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3人の主人公の視点から描かれる、始発に乗る人々。

18歳、高校生の倉持紬。
24歳、社会人2年目の大橋琴。
37歳、シングルマザーの遠藤莉子。

それぞれがそれぞれの気持ちや意思を持って始発に乗車する理由とは一体何なのでしょう?

そして始発に乗る中で一体何を考えるのでしょう?

稚拙な部分も多い作品かとは思いますが、楽しんでいただけましたら幸いです。

尚、執筆を記念して小説展示を予定しております。展示会場にて、冊子の販売を予定しております。

詳細は次の投稿をご覧くださいね

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