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負けてなるものかと、機関車の車輪のごとく──。

 嫌な予感しかなかった。利香子さんの身に何かがあったとしか思えなかった。
 利香子さん、利香子さん……。
 祐介は胸の中で何度も彼女の名前を呼び続けていた。夕焼けの赤が、祐介の汗まみれの顔を輝かせていた。
 やがてこの峠最大の勾配である、ヘアピンカーブにさしかかった。さすがにここは漕ぐより、走ったほうが早い。素早くチャリンコから飛び降りて、手で押しながら猛ダッシュした。
 夏、裏山で利香子さんを背負ってトレーニングしていたおかげか、祐介は自然と気合いと根性を振り絞っていた。「おりゃあーー」と腹の底から声も出していた。
 負けてなるものかと機関車の車輪のごとく、両足を回転させて駆け上がった。
 ヘアピンカーブをクリアすると、山のてっぺんまであと少しだ。ふたたびチャリンコに跨がり、ひたすら漕いだ。ペダルを踏み込むたび、大腿筋にちぎれそうな痛みが走った。心臓が破れそうなほど心拍数も上がっていた。
 それでも一秒たりとも休んでいられなかった。
 祐介の胸にある思いは一つだ。
 なにがあったとしても、利香子さんを助ける!
 頂上まで駆け上がると、風を切りながら、一気に駆け下りた。
 町並も見えてきた。
 村のほうはあんなに晴れていたのに、町は灰色に包まれていた。
 どんよりとした鈍色の雲が上空を渦巻いていた。
 祐介の汗まみれの顔に、小雨がちらついてきた。
 小雨だったのはつかの間で、瞬く間に滝のような強い雨となった。
 ここから先は地獄──そんな気持ちにさせる急激な悪天候だった。
 雨合羽など持っていないから、祐介の顔面に雨風がもろに当たり、目を開けているのもやっとだった。
 車輪が滑り、ヒヤッとする瞬間もあったが、スピードを緩めることはなかった。
 峠を下りて、市街地まで入った時には、髪も服もビショ濡れどころか、パンツの中までオモラシしたみたいになっていた。
 普段は村のバス停から町に着くまでチャリンコで一時間はかかるが、四十分ほどで、町の駅まで辿り着いた。
 駅のロータリーにある時計台はこの時、十七時半を指していた。
 無事でいてくれ。
 大雨の中、そう祈りながら、利香子さんのアパートを目指した。例のとんかつ屋さんの前を駆け抜けた時、「うちの場所覚えておいてもらわないと。何かあったとき、助けに来てもらわないといけないからね」と利香子さんの言葉を思い出した。
 すべてはこの時のために、あったように思えてきた。利香子さんに会うのが怖いとか、もう会いたくないとか、そんなナヨナヨとした気持ちはもう微塵もなかった。
 白い外観の二階建てのアパートに到着するなり、祐介はチャリンコを乗り捨てた。一階の右から二番目の部屋の前まで辿り着くと、間髪入れず、どんどんどんと激しくノックした。
「利香子さん!」
 大声で怒鳴った。
 ピンポン、ピンポン、ピンポン!
 ドアの横にあった呼び鈴も、連発で押した。
「利香子さん! 利香子さん!」
 ドアを叩き、呼び鈴も押しまくり、祐介は狂ったように喚きちらした。
 なぜなら、部屋の前には利香子さんのママチャリどころか、洗濯機もなかったからだ。
 もういない……。
 ひゅぅ、と大粒の雨とともに強い風が吹き抜けた。
 バチバチバチと、雨が屋根を打つ音も凄まじかった。
「利香子さん! 利香子さん!」
 それでも祐介は呼び続けた。
 背後の、かなり近い距離で、雷鳴がとどろいた。祐介の声すらかき消すほどの轟音だった。
 なぜいない? どうして勝手にいなくなった?
「利香子さん、利香子さん……ねえ!」
 祐介は玄関のドアに額を当てて、叫んだ。
 手遅れだったのか、間に合わなかったのか。諦めるしかないのか。
 横殴りに吹き抜ける、秋の冷たい雨が、祐介の肩を濡らしていた。
 ママチャリどころか洗濯機もなくなっているのだ。ただの留守とは思えない。
 利香子さんはどこかに引っ越してしまって、もうこの町にすらいない……。いや、もしかして、誰かにさらわれてしまったのかもしれない。
「うわぁぁ……」
 額を当ててまま、祐介はずるずると膝から崩れ落ちた。
 ドアの前に座り込み、冷たい現実に打ちのめされた。
 雨と汗と涙のまじった滴が、祐介の頬をつたい、口の中に入ってきた。
 血の味がした。祐介は唇を強くかみしめていた。


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(第七章 チャリンコと、ずぶ濡れの女優)より抜粋



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表紙デザイン 彼女、


裏山の秘密基地の中で二人きり。ふいに利香子さんが振り返って、瞳を覗き込むように見つめてきた。祐介の心臓がトクンと鳴った。利香子さんの一重の瞳が妖しく光り、潤んでいた。「祐介……これ、なあに?」
──昭和六十年の夏。高校受験に失敗した十六歳の青年と、アッケラカンとした巨乳のポルノ女優が繰り広げる、汗と性欲まみれのひと夏の経験。
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