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対峙(2021) / フラン・クランツ監督

すごいものを観てしまった。

殆どが主要人物の4人で展開されるが
そのどこにも隙がなく素晴らしい。

舞台は、教会の一室で行われたとある面会。
それは、かつて学校で起こった銃乱射事件の加害者家族と被害者家族が、直接対峙する形で行われた。

周囲の色んな気配りもあり、この場ができた。

そういった題材なのはわかってはいたものの、実際に子どもがいる身としては途中、観なきゃよかった、という言葉が頭をよぎりそうになるほどに、リアルで苦しい時間がありありと描かれていて涙無しには見られなかった。

でも、それ以上に、明日は我が身とでも言えるくらい、いつ誰がどうなってもおかしくない、という迫り来る当事者意識や危機感に、胸が痛くなった。

誰もが加害者になり得るし
誰もが被害者になり得る。

ただ子どもを愛し育んできた夫婦の、どこに違いがあったのだろうか。
起点はきっと一つではない。
でもポイントの一つは"孤独感"にあるのだろうと思う。

加害少年の父の、
「人気があったから孤独には見えなかった」
と言う言葉にハッとする。

親から、友達から、兄弟から、どこか分離した感覚。
わかってもらえない、打ち明けられない。
そんな心の葛藤は、外から見えないのだ、と。

兆候の糸を掴んでいたとしても、全貌を見出すことはかなり難しい。
けれど親なら気づきたい。
それは全員に共通する思いなんじゃないだろうか。

そしてそれが叶わなかった時の絶望感たるや。

被害者家族が辛いのは勿論。想像に難く無い。
でも加害者家族も辛く、更に"人殺しを育てた"という衝撃と子どもへの愛情との間で起こる自己矛盾、それから社会からの孤立や、喪失感。

観客は、そんな双方のどうしようもない寂しさや苦しみを一挙に目の当たりにすることになる。
でもそれを、登場人物たちとともに苦しみながらも真っ向から受け止めてみて欲しい、と思う。

観ている方も、息ができなくなりそうになる。

映画というフィクションのお陰様で、わたし達は日常で引き受けたくないようなものを見せてもらえるのだと再認識する。
そして有り難くそれを体感することで。人生により気づきを与えてくれる。
この映画は、まさにそういうものだと思う。

人を赦すことがいかに簡単でないか。
または、赦されること。
特に命に関わる事柄が起きた時、そのどちらも難しさは増す。

そして罪悪感や自責、他責。
そのどれもが苦しく、際限がない。
これもまた、取り返しのつかない事態を前にしては、どこで取り下げられるものかわからなくなっていく。

罪と罰と赦しと。
その究極の場所をわたしたちは物語を通して追体験することになる。

観なきゃよかった、なんて烏滸がましい。
観てよかった、心から。

自分の中にある無関心を、再点検させられる良い機会となったのだから。

今を大事にしよう。
目の前の瞳を、しっかり見て抱きしめよう。
よく聞きよく話し、分かち合おう。

「あの子がいなければ平和だったかもしれません」
「好きなだけ殴らせればよかったんです」
そんな悲しいことを、言わなくていいように。
そしてそんな辛いことを、誰もが体験しなくていいように。

世界の平和を、小さな瞬間から紡ぎ出そう。

(追記)
ふと思い出した「価値」の話。
その人生には、価値があったのか、あるのか、それとも、ないのか。

価値。世界を動かすほどの。
世界を変えるから、価値があるとでもいうのか。

この作品の結論は、もっと身近なところだった。
誰かの記憶の中にあるその人に触れる、感情が動く。
そこに存在していた。ただそれだけのことでいい。
それだけで価値がある。

在りし日の息子の姿を回想する母親二人の姿を観ているだけで、もはや価値がある、という言葉も使いたくないほど、その存在の尊さが沁みる。

正直わたしには、自分には価値がない、と思ってしまう瞬間も、人生にはあった。し、今もたまに危うくなるけれど、でも、価値という言葉にするのもナンセンスな程に、この世界には奇跡しか無い、と思う。

そして大抵、誰かほかの人にはそれが感じられるのに、自分に対してその目を向けることの方が難しく感じる。

これはきっと、加害者の少年の孤独や迷いと、少なからず繋がっている感覚なのではないかと思う。

もっと早く、深く、少年に、母親の眼差しが届いていたなら、と思う。
価値なんて議論もするまでもないほどに、唯一の、大事な存在だったのだと、今からでも伝えてあげたいと思った。


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