『桃太郎』というプロレタリア文学
百姓である桃太郎は日々働いても、ずっと貧乏していることについて考えていました。どんなに頑張って米をつくろうと、地主がどんどん持っていってしまうので、自分たちが食べるものはどんどん減っていきます。そこで桃太郎は地主退治に出かけることにしたのです。
【#163】20211210
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。
今回は「『桃太郎』というプロレタリア文学」というテーマで話していこうと思います。
☆プロレタリアの時代がやってきた。
プロレタリア文学と聞くと何を思い浮かべるでしょうか?小林多喜二の『蟹工船』でしょうか?徳川直の『太陽のない街』でしょうか?
実は、日本人なら誰もが知る物語もそのうちに含まれるのです。
タイトルでお察しの通り、それは『桃太郎』です。
『桃太郎』は、人口に膾炙した作品ですから、主義や思想を伝えるにはもってこいの材料なんですね。だから、時代によって、桃太郎の描かれ方は変化してきました。
たとえば、明治時代は「強い国づくり」を目指していたので、この時期の桃太郎は強くたくましく、お国のために尽力します。それが正解といわんばかりに、その『桃太郎』を教科書に乗せて、子どもたちを教化していったんですね。
もっと詳しいことを知りたい方は、以前の記事をご覧ください!めちゃくちゃ面白いです。
さて、今回は大正中期から後期にかけて起こったプロレタリア児童文学運動のさなかに綴られた『桃太郎』について紹介していこうと思います。
そもそもプロレタリア文学とは、虐げられた労働者たちを描くものです。当時の日本は経済不況。労働争議や小作争議が高まりを見せ、その影響は文学界にも及びました。労働者たちの厳しい現実を、物語を通して伝え、世に訴えたのです。
プロレタリア文学の側面を持つ『桃太郎』は何作かあるんですが、特に興味深かった物語を紹介しますね。
まずは、「桃太郎=ずるくて働かない資本家」の物語です。
☆桃太郎=ずるい資本家
江口渙の『ある日の鬼ヶ島』という作品があります。タイトルから想像つくかもしれませんが、鬼ヶ島に住む鬼たちの物語です。もちろん、鬼視点で語られます。
話を短くまとめると、桃太郎は鬼退治にやってくるんですが、鬼の姿を見て怖気づいてしまいます。すぐに逃げ出して、船で休んでいた犬に声をかけたんですね。呼ばれた犬は元気いっぱいな姿を見せ、門の近くにいた老人の鬼や赤ん坊の鬼たちを降参させます。
で、鬼ヶ島にある宝物と赤ん坊の鬼を船に乗せ、日本へと帰っていくんです。
従来の桃太郎とあんまり変化がないように思えますが、面白いのはここから。
数年後、鬼ヶ島にこんな噂が伝わってきます。幼い桃太郎が、鬼退治を果たし、宝物をとってきたことが称賛され、日本の国では桃太郎を神様のように敬っているらしいのです。
それを聞いて、鬼たちは怒りに震えます。ずるくて嘘つきで卑怯な桃太郎に憤りを隠せなかったのです。
人間の世界を「まじめに働いたやつが少しも得をしないで、ずるく立ち廻ったやつばかりが一人で甘い汁を吸う」世界とし、「お互に正直一方に働いては仲よく助け合つてゐる」鬼ヶ島での暮らしをありがたく思う会話が繰り広げられるんです。
なんとなく、言いたいことが分かったと思いますが、まさにこの部分にプロレタリア文学の側面があるのです。
この物語において、「まじめに働いたやつ」=「犬」、「ずるく立ち廻ったやつ」=「桃太郎」で、これはそのまま「労働者」と「資本家」と置き換えることができます。
今回僕が参考にしている『桃太郎の運命』の中では、次のように指摘しています。
毎日黙々と身体を動かして働き、物を生み出しているのは労働者や農民なのに、資本家や地主は自ら働こうとはせず、労働者や農民を搾取するばかりか、自分たちの力で世の中を動かしているように錯覚している、といった社会認識の暗示となっていることは否定できない。
☆鬼=地主
プロレタリア文学としての『桃太郎』は他にもあります。
たとえば、入交総一郎の『新桃太郎の話』では、おじいさんとおばあさんの会話のみで構成される非常に短い物語ですが、ラストシーンではこんな会話がされます。
「だつて、それに、今の世の中に、鬼なんて言ふものはゐませんよ。」
「おばあさんはバカだよ。今の世の中には、鬼がうようよしてゐるんだぞ。正直に働いてゐる人間に、さも深切さうに言ひようつて来て、逃げられないやうに鎖で縛つてから、生血を吸つてゐるのだ。」
「へえー―」とおばあさんはびつくりしました。
「わしは、その鬼を退治るために、もうひとりの桃太郎が欲しかつたんだよ。」
おぢいさんは、残念さうに、溜息を吐きました。目がしらには涙がたまつて光つてゐました。
もうお分かりですね。
先ほどの「ある日の鬼ヶ島」とは違い、今回は「鬼」=「資本家」、「おじいさん・おばあさん」=「労働者・農民」の構図が展開されており、桃太郎は登場こそしませんが、「労働者・農民の思いを代弁するヒーロー」としてその誕生を期待されていると読み取ることができると思います。
「鬼」=「資本家」として見立てた『桃太郎』は他にもあります。本庄陸男の『鬼征伐の桃太郎』では、「鬼」=「地主」なんですね。
百姓である桃太郎は日々働いても、ずっと貧乏していることについて考えていました。どんなに頑張って米をつくろうと、地主がどんどん持っていってしまうので、自分たちが食べるものはどんどん減っていきます。
そこで桃太郎は地主退治に出かけることにしたのです。ちなみに、その腹ごしらえとしておばあさんがつくってくれたのがきび団子なんですが、こういった背景をふまえると、「きび」=「お粗末な食べ物」が際立ってきます。
地主に対して憤っている農民たちは多くいました。猿吉、犬次郎、雉助をはじめ、大勢の仲間を引き連れて、地主退治に行きます。みんな地主のことを「鬼」と呼び、地主が住んでいる屋敷のことを「鬼ヶ島」と呼んでいるそうです。どんだけ桃太郎に感化されているんだとつっこみたくなっちゃいますが、そんなこんなで無事に地主を成敗し、金銀財宝を全て取り上げて、村で共同保管することになりました。
この『鬼征伐の桃太郎』はとても分かりやすかったのではないでしょうか?構図がはっきりとしますし、元々の『桃太郎』の物語に変化はありませんし。
以上のような『桃太郎』が、大正時代の終わり頃に生み出されたのです。
☆労働者たちの願い
長くなってしまいましたが、結論、この時代に求められていたのは何かというと、「労働者たちが報われる物語」です。辛酸を舐めるような労働の日々、得られる収入は雀の涙。資本家や地主たちはふんぞり返って、安楽な暮らしの中にいる。
労働者たちはそこに疑問を抱き、その階級社会が是正されるような未来の到来を願っていたのです。
文学とは、まさに時代を映し出す鏡だなあと改めて思いました。
ならば、現在の時代に求められる物語が、今だからこそ綴るべき『桃太郎』があるのではないでしょうか?
僕が考えるに、新しい『桃太郎』のテーマは「共生」です。得体の知れない存在、理解し得ない存在を排除するのではなく、受け入れ、共に生きる道を選ぶヒーローこそ、目下必要とされているのではないでしょうか。
「共生」をテーマに、『桃太郎』を一緒に作り直してみませんか?
興味を持たれた方は、是非、下のマガジンを覗いみてください。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。
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